海楽在住 30代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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海楽在住 30代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000031
説明・要約
【震災当日】
●地震発生時は近所のファミリーレストランに:自宅近くのファミリーレストランで知人と会食していたとき、大きな揺れがきました。落下物の危険などを考えると外に出ないほうが安全と思い、そのまま1時間ほど滞在していました。幼い娘は自宅で母がみてくれていたので、とりあえずは自身の安全を優先しました。店内にいた客のうち一部は外に出ましたが、留まった客がほとんどで、揺れが収まってから店員がドアを開け、客を誘導していたのを記憶しています。テレビがない店内で、電話も通じなかったため、震源が岩手県南部であることをネットニュースで知りました。でも、それほど不安はありませんでした。揺れが落ち着いた約1時間後に帰宅して、ニュースで仙台空港に津波が押し寄せる映像を見ましたが、その時もまだ事態の深刻さは実感していませんでした。
●水が止まった! まずは自分のことで頭がいっぱい:帰宅してトイレに入り、水が止まっていることに気づきました。ツイッターを駆使して仲間から情報収集すると、海楽周辺の水道が止まってしまったということでした。ガスも止まっていましたが、復旧にそれほど時間はかからないだろうと、当初は高を括っていました。子供が小さく、食糧の買い置きもあったので外には出かけず、夫の帰りを待っていました。
●夫の郷里は陸前高田。姑の安否がわからない:夫の郷里は、岩手県の陸前高田市。何度か姑に電話をしましたがつながりません。当時はテレビの映像も仙台などが中心で、陸前高田の様子はまったくわかりませんでした。電話がつながらないのは回線が混んでいるからだと思いましたが、テレビでまったく報道されていないことが、なんだか不安でした。23時過ぎに陸前高田の惨状を知り、ショックを受けた夫は酒を飲んで寝てしまいました。私はツイッターで情報収集をしながら、眠れない夜を過ごしました。陸前高田は以前からたびたび津波の被害があり、定期的に避難訓練を行っていると聞いていました。現地を訪れた際に見た、高さ7mの巨大な防波堤を超えたという津波を考えると、とても不安でした。電話をかけてもつながらないので171(災害伝言ダイヤル)にメッセージを残し、誰かが義母の情報をもたらしてくれることを祈っていました。