東野在住 30代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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東野在住 30代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000076
説明・要約
【震災当日】
●多くのボランティアと一緒に作業:次の日、徒歩で福祉センターへ行きました。液状化の後始末のため、ボランティアを募っているということを聞いたからです。そこで弁天地区がひどい状況になっているのを知り、スコップを持って行って泥を取り除く作業を行いました。近隣から多くの学生さんたちが駆けつけてくれていて、懸命に作業に取り組んでいました。ボランティアに参加してくれる人が想像以上にかなり集まり、作業開始まで1時間ほど並ばなくてはならない状況でしたので、次の日は行きませんでした。街の様子を確認してみようと自転車で回ってみました。地域によって災害のダメージもさまざまで、日の出や高洲もひどい状況になっていました。自宅は東野1丁目にあるのですが、ちょっと離れた3丁目では液状化問題もかなり深刻のようでした。
●水道水にどれだけ依存していたかを実感:水道はほぼ止まってしまい、蛇口をひねるとチョロチョロ出るような状況でした。もちろんお湯は出ません。復旧するまで、1週間ほどかかったかと思います。それまでは、近所に駆けつけてくれた自衛隊の給水車に水を取りに行ったりして過ごしていました。浦安は埋立地じゃないですか。ですから水道管なども比較的最新の技術を駆使したものを使っていたと思いますが、それでも想定外のことが起こってしまったということでしょうね。日本は外国と違って水道水が飲めるので、水道が止まってしまった場合の予備ができていない場合が多いのかもしれません。毎日お風呂にも入りますし……。普段から便利な生活をしているだけに、必要以上に不便を感じてしまうのかもしれません。
●常に悲観的な目で備え、そして日常は楽観的に過ごす:震度7に耐えられるように、家の中にある家具などはすべて固定しています。ほかにもいざというときのために自家発電機を設置したり、災害リュックを用意するようになりました。また、いつ何が起こるかわからないと思うようになったのでしょうか。食べられるときに……と思い、おいしくて高価なものを食べるようになりましたね。震災を機に、普通のことが普通ではなくなった気がします。もしかしたら、また大きな地震がくるかもしれない、津波が襲ってくるかもしれない、液状化問題が深刻化するかもしれない……。原発の問題についても同様です。それまでにも批判的なことをいう人はいたけれども、あれほど恐ろしいものだとは知らされていなかった。でも、そればかりを考えて、びくびく過ごしているのではダメだと思います。常に悲観的に考えて万が一のために備え、楽観的に過ごすということができればと思っています。