高洲在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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高洲在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000175
説明・要約
【震災当日】
●ママ友や子どもたちと公園で被災:地域の親子サークル活動を終えて若潮公園にいる時でした。私は4歳の長女と1歳になる前の次女を連れていました。ほかのママ友たちも5〜6組いました。地震が発生して子どもたちがキャーキャーと騒ぎ、建物が揺れているのが見えて、地面から水が溢れてきました。揺れが収まってから公園の職員の方がやって来て「津波警報が出ています」と言うんです。具体的にどこへ避難すべきかの指示はありませんでした。それで公園内の小高い山に登ろうということになったんですが、もう山には近隣の方や病院からの人が大勢来ていて。
●余震のたびに子どもたちの悲鳴。徒歩でどうにか帰宅:あの日は午前中は晴れていたのに、午後は小雨が降ってきて。傘を持っていなかったので帰れない状況で、結局、5時くらいまで公園にいました。子どもさんがよく遊びに来る公園ですから、あの日もたくさん子どもがいました。余震が起きる度に子どもたちの泣き叫ぶ声が印象的でしたね。私も初めての体験で怖かったんですが、親がわめくと子どもも不安になりますからね。私は新潟の長岡出身で、10年ほど前にあった中越地震を私の両親と妹が経験しているんですね。大地震が起きたときは「とにかく落ち着け」と父から度々言われていたので、今回は長女を落ち着かせようとしていました。そのうち、ある人は子どもを迎えに小学校へ行き、みんなバラバラに帰りました。5時くらいには高洲に住む人たちと帰りました。境川沿いの道は斜めになっていて泥水があふれていまして、もう自転車に乗れる状態ではなかったですね。道路が上下にうねってしまっている所もありました。自転車で10分の距離を、徒歩で30分くらいかけて帰ったと思います。
●ライフラインがダウン。夫は自転車で新宿から帰宅:マンションに着くと知り合いの方から「お宅、小さい子がいるけどお水は大丈夫?」って声を掛けられて。お水と電気とガスが全部止まっていたんです。玄関のドアを開ける瞬間がものすごく不安だったけど、家の中は案外大丈夫でした。その晩はいつもお付き合いのあるお隣さんのお宅でろうそくを立てて食事をしました。食事の最中に主人が帰ってきて、「生きてて良かった〜!!」って言われたのを覚えています。主人の職場は新宿なんですが、携帯電話はずっと繋がりませんでした。オフィスで浦安が大変だと耳にしたらしく、同僚の自転車を借りて浦安まで帰ってきました。自宅に帰ってから、もう寝ようということになりました。部屋の電気や街の灯りもなく、星がものすごく綺麗だったのを覚えていますね。