高洲在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
浦安市における東日本大震災の記録コンテンツのご利用について(利用規約)
高洲在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000176
説明・要約
【震災当日】
●自衛隊の給水に助けられた:翌日は高洲小学校に自衛隊の給水車が来てくれて、お水の配給が始まりました。とってもありがたかったですよね、水が結局1週間くらいは出ませんでしたから。マンションでも生活排水用の水を配布していました。下水もだめになっていましたので、トイレも使えません。そこで、ご近所さんとペット用の排泄シートをシェアさせてもらって、それを自宅で使っていました。それと、マンション内の泥かきもやっていましたね。泥に埋まってしまったバイクを動かしたり、人が歩ける通路を作ったり。自治会が号令をかけたというよりは、住民の方々が自発的に動いていましたね。というのも、マンションの自治会長さんも都内の職場から帰ってこられなかったんですね。だから自治会が機能できなくて、住民の方たちが動いたって感じですね。主人も参加していました。新潟の実家とは2〜3日後に連絡がとれて、「水を送ろうか?」と言われました。都内にある主人の実家からも援助の申し出がありましたが、自衛隊の給水で十分にまかなえていたので、水を送ってもらうことはありませんでした。
●水の苦労から意識が変わった:電気とガスは早々に復旧しましたが、水が1週間も止まったままで。子どもたちを連れて自転車で元町の銭湯に行きました。もちろん並んで。新浦安のホテルが客室を解放していましたので、それも1度利用しましたね。震災から1年くらいは水を大事にしようという風に意識が変わりましたね。無駄に流しっぱなしにしないようにね。私が教えなくても、子どももそうしていました。あとは食事を残さないこと。あのときはスーパーに行っても品薄が続いていて、食事もままならない状況でしたから。子どもには満腹感を得るために「よく噛んで食べて」なんて言っていました。
●マンション住民との関係が作れた:あの震災を経て住民の方たちとの関係が築けたというのがありましたよね。それまで挨拶程度だった方たちとも知り合いになれて、マンション内のコミュニティが出来上がって良かったなと思います。本来あるべきご近所付き合いが持てるようになったのですから。子どもたちも積極的に挨拶してますしね。