入船在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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入船在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000002
説明・要約
【震災当日】
●震災後しばらく市内の復興作業にあたる:翌日の12日からは、2週間くらい休みなく市内の復旧作業にあたりました。最初は電話対応を担当し、途中からは給水作業の手伝いをしました。その後、市内の下水設備に問題が発覚したため、トイレを使えない地域が出たんですね。それで私たち職員が簡易トイレセットを各戸に配りました。
 ●水や食糧の確保が必要だと感じた:自宅は水道とガスが止まっていましたし、自宅周辺のスーパーやコンビニには物がありませんでした。夫にお願いして帰宅途中に元町のほうで食糧を買ってきてもらったり。あとは自宅にあるものを食べていました。新習志野に弟夫婦が住んでいたので、そちらでお風呂を借りたり、必要な物を買ったりしていました。やっぱり水ですね。水がないと飲み水やトイレに困りますから。あの震災後はミネラルウォーターを箱でストックしていました。震災後の何日かは、夫が会社を休んで子どもの世話をしてくれました。ある日、浦安駅のほうのコインランドリーに行ってもらったら、とても混んでいて洗濯できずに帰ってきたこともありましたね。当時のメモを見ると、18日にはガスが復旧して、水道はその何日か後でした。
●子どもを四国の実家に預ける:夫が仕事に行くようになって、しばらくは私が子連れで仕事に出ました。でも保育園は休園し、放射能が心配ということもあり、3月下旬から4月半ばまで夫の実家がある高知県に子どもを預けました。4月半ばに子どもが戻ってきて保育園に行き出して、ようやく我が家も落ち着いた感じでしたね。