日の出在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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日の出在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000004
説明・要約
【震災当日】
●子どもを実家に預けて夫婦で復興支援に:震災当日の夜は、主人は避難所開設などで帰ってきませんでした。主人も市の職員で、翌日からいつどこに派遣されるか分からない状況だったので、3月12日から4月の半ばくらいまで主人の実家に子どもたちを預けました。実家には私たちもお風呂を借りに行っていました。
●日の出小学校での給水作業:12日は朝から、自宅近くの日の出小学校で給水の手伝いをしました。周辺の方が衣装ケースなど水を溜められる物を持って、朝からものすごい行列でしたね。市内の各小学校に散らばっている職員とは携帯メールでやり取りをしていました。南小にいた職員からは「水道から水が出る」と。車でわずか10分の場所なのに、日の出小学校は断水していて。給水車が到着するのを何時間も待たされているので、職員や給水作業員に詰め寄る方もいましたよ。なんとかその方たちをなだめたり。震災後の混乱もあり、給水車が思うように移動できないという状況だったので、私たちも「何時に給水を始めます」というのも言えなくて。その様子を見ていた日の出小の校長から「プールの水を使って」という申し出を受けて、市民の皆さんに配っていました。
●自分が被災者という記憶はない:それ以外にも、あの時期は各家庭をまわって便袋の配布をしたり、道路にたまった泥のかき出しなども行いました。あのときは早朝から夕方、夕方から夜までの2シフト体制で復興支援にあたりました。主人は震災当日の避難所開設から、港に行って自衛隊の給水船を受け入れる作業などもしていたようです。主人は帰ってこない日もありましたね。私は帰宅しても、いつ呼ばれても出勤できるように防災服と安全靴を置いておきました。その後、自宅のライフラインが復旧して、子どもたちも戻ってきました。子どもたちには申し訳ないですが、自分が被災者という記憶は薄いですね。やっぱり仕事で復興業務にあたっていたので。