猫実在住 40代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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猫実在住 40代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000009
説明・要約
【震災当日】
●地震発生。あの時の経験から冷静でいられた:中央図書館1階にある中央カウンターのバックスペースで、数名のスタッフと事務作業をしているときに最初の揺れを感じました。長い横揺れで床にはたくさんの書類やファイルなどが散乱し、他のスタッフたちは動揺していましたが、20年前に阪神淡路暖震災を経験していた私は即座に「首都圏直下型の揺れ方じゃない」と冷静に判断していました。旅行で大阪を訪れていたときにあの震災に遭遇し、ドーンと縦方向に揺れる直下型地震というものを知っていました。早朝から電車に乗って大阪市内を移動していると、突然大きな縦揺れが起こってすぐに電車が止まり、街の灯りが一斉に消えたのを今でも覚えています。首都圏直下型地震がいずれ起こると言われていましたから、もし直下型なら激しい縦揺れになると分かっていたので、あの11日の横揺れを感じたときに「震源は首都圏ではない」と即座に理解し、意外と冷静に周囲の様子を見られたんだと思います。
●徐々に分かってくる地震の被害状況:揺れが収まってから1階フロアに出ました。書架は数年前に耐震補強をしていたこともあり、フロア内に本が散乱することも、書架が倒れるといったこともなく、スタッフたちは落ち着いた様子で通常業務を行っていました。お客さんや館内に被害がないことを確認し、私はカウンターで貸出・返却の対応に取り掛かりました。とあるお客さんからのリクエストで地下の書庫から本を出そうと内線をかけると、電話の向こうから「さっきの地震で本が散乱していて、お出しできません!」と。その地下書庫スタッフとのやり取りで初めて図書館の被害状況が見え始め、じわじわと地震の影響が明らかになっていった感じでした。
●閉館後に避難所の開設業務:市から午後4時に臨時閉館せよという連絡が入り、私たち職員は災害対応の業務を行うことになりました。館内に残っていたお客さんにお帰りいただき、閉館してすぐ、私は浦安中学校に向かって避難所開設の業務にあたりました。浦安中の周辺は比較的被害がありませんでしたが、余震が続いていたため周辺住民の方がちらほらと学校に集まっていましたね。夕方から浦安中の体育館に避難者を収容し、夜には帰宅困難者を迎え入れるなどの対応にあたりました。その間、職員室にあるテレビで東北の状況や津波のことを見ました。当日は電話が不通になっていたため、市の防災本部とのやり取りも困難でした。そのため、避難所が消灯する午後10時をまわってから中央図書館に戻り、避難所の様子を伝令しました。11日の晩は、そのまま館長と私を含め数人のスタッフが図書館に待機しました。市内に散らばっている職員から各避難所の様子が伝えられると、元町エリアはライフラインが生きていて被害はさほどなく、新町エリアは地震発生直後から液状化やライフラインの停止が発生するなど、被害の違いに驚きました。
●家族との連絡:当時、妻と娘は長野に住んでいて私は単身で浦安に住んでいました。携帯電話が繋がらない状況のなか、「長野は被害が出ていないから大丈夫だろう」と、私自身も地震後の対応に追われていたこともあり、家族と電話で話したのは翌日だったと思います。