北栄在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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北栄在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000017
説明・要約
【震災当日】
●産婦人科の病室で地震にグラグラ!:4歳の次男と浦安駅近くの産婦人科の病室にいました。次男のお友だちに弟が生まれて、ほかのママ友や子どもたちと何人かでお見舞いに行っていたんです。赤ちゃんは寝ていて、私たちがおしゃべりをしているときにグラグラときたんです。出産したばかりのママのご主人もいたのですが、その方が東京消防庁の職員だったんですね。揺れ方がいつもの地震と違いましたし、そのご主人の話を聞いて「これは凄いのが来たな」と実感しました。病院のスタッフもあたふたしていたので、ご主人は避難経路の確保など指示を出していました。震災のあった日、長男の通っていた小学校は短縮授業で、私が病院に行くから長男は私の実家に行っていたんです。地震が収まってすぐに電話で長男の無事を確認しました。後日聞いた話ですが、消防庁のご主人は病院スタッフへの指示出しを終えてから仕事場に向かったそうです。「多分しばらくは帰ってこられないと思う」と言い残してその後、東北の被災地にも行かれたそうですよ。
●タクシー運転手から「舞浜はひどい」と聞いた:しばらくは病室にいて、テレビやラジオで地震の情報を聞いていました。それで帰ることになって、タクシー乗り場に向かいました。ちょっとした行列にはなっていたけど。友人たちが乗ったタクシーの運転手さんが「あっち(舞浜)の方はグチャグチャで行けないかもしれないよ」と言っていました。彼女たちは行徳方面だったのでその場で別れて、私と息子は徒歩で帰りました。
●自宅に到着。次男も実家に避難させる:自宅はマンションの5階ですが、つっかえ棒などで補強をしていたので、大きな家具が倒れるとかはありませんでした。お皿やグラスがいくつか落ちて割れていたぐらいです。水道の出がちょっと悪いくらいで、電気やガスのライフラインも問題ありませんでした。家の中に散らばったガラス片などを片付けないといけないし、余震も続いていたので次男も私の実家に預けました仕事でビックサイトにいた夫とはメールで安否確認しました。現場で水や非常食を配ったりしていたようです。