北栄在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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北栄在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000018
説明・要約
【震災当日】
●被害の出た新町へ物資を届ける:遠方の親戚から「大丈夫だった?」とメールや電話が来ましたが、元町の中心地ですから被害は特になく逆に心苦しい感じですね。家が浦安駅の近くだったので、部屋から駅前商店街の様子が見えるんですね。だから、お店にトラックが到着すると「ああ、物が届いたな〜」なんて見ていました。東野のお友だちから「物が売ってない」って連絡があったときなどは、こっちで買って届けていました。
●原発の問題で不安だった日々:震災からちょっと経ってから、原発のことに敏感になっていました。テレビ、新聞、ネット……すべてのメディアを見て、その中間を取るみたいな。私の小学校のときの担任が南相馬市の出身だったんですね。その先生が戦争の話とか原発の話とかを聞かせてくれて、その後チェルノブイリの事故もあったりして、そんな時代を過ごしてきたからですかね。九州で作られた野菜やきちんと検査されている物を食べさせたり、外出する際にマスクをつけさせたりしていました。子どもに「外に出ないように」と言ってた時期もありましたね。お友だちのなかには関西に一時避難した子もいましたし。夫にも「遠くに行ったら?」って言われましたが、最終的に浦安に住むわけだから、避難してしまったら危険な所に戻るっていう気持ちにさせてしまう……浦安を嫌いになってほしくなくて。
●あれからの防災対策:すぐに子どもたちも戻ってきましたが、緊急地震速報が入ったらすぐにマンションの廊下に出るように話していました。食べ物や水なども震災後には備蓄していましたね。長男は私立中学に電車通学しているものですから、学校から自宅までの徒歩のルートをチェックさせています。