当代島在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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当代島在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000038
説明・要約
【震災当日】
●被災状況に格差:余震への不安があり、食糧も足りていたので、その週末はほとんど家から出ず、周囲の状況もよくわからない状態でした。友人、知人のなかには被害が大きかった地域に住む人もいましたが、幸い被害がほとんどなかった私たちは、週明けの火曜日の出勤の時も比較的穏やかな心持ちでした。夫は普段通り、スーツを着て都内に働きに出ていきました。私もいつもと同じように、仕事へ。でも、ボランティアで来た人たちが堆積した泥を片付けてくれているのを見かけ、複雑な思いに駆られてきました。入船や中町などでは深刻な被害を受けている人もいて、ボランティアの方々や市の職員は作業着姿で汚泥の片付けをしている……。その後、被災者給付金の申請ができるようになりました。うちは対象地域にありましたが、そんな思いから申請する気にはなりませんでした。
●やはり心配なことは子供の安全:日が経つにつれ、余震にも慣れてきましたが、また大きな地震が襲うのではないかという不安は拭えませんでした。一刻も子供と離れてはいけないと、外へでるときは必ず子供を連れていきました。続いてまた大きな地震が起こる可能性があることはニュースでも報道されていたし、うちは1階なので、次は津波が襲うかもしれない。子供と一緒にいられるようにと、週末勤務のない職場へと転職しました。
●身近な環境の回復は、つい昨年のこと:昨年になってようやく、付近の道路の補修が完了しました。それまでは路面状況がひどく、やたらと自転車のタイヤがパンクするので、歩いて移動することがほとんどでした。自転車だと比較的近いと感じていた距離が、足場も悪さもあって、歩くと1時間以上にも感じました。
●震災を経験しての教訓:食糧の確保を考えるようになりました。また、いざというときでも家族と連絡が取れるように、いろいろと決まりごとを作りました。子供に携帯電話を持たせることには抵抗があったので、災害にあったときにはここへ集合などといったことを確認し合いました。もう何が起こってもおかしくない、という思いです。原発への不安も大きい。震災を機会にいろんなことが変わってしまった、と感じています。