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弁天在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)

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弁天在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)

PDF版

インタビューを書き起こした記録です。

ファイルサイズ 59KB

コンテンツ番号 UT00000056

説明・要約

【震災当日】

  ●長女はバスケ部員とともに地域ボランティアへ:翌日から、長女はバスケ部の仲間とボランティア活動を始めました。朝から夕方まで、近所のひとり暮らしの高齢の方の家で泥かきをしたり。バスケ部に富士見の子がいるんですね。そちらは上下水が大丈夫だったので娘は1日ボランティア活動をして、その子の家でお風呂を借りて帰ってきました。私たちも何度かそのお宅でお風呂と洗濯機を借りています。ホントに助かりましたよ。それと、水が出る地域に住んでいる部員の子が、家にあったペットボトルに水を入れてたくさん持ってきてくれて。「これ使ってください!」って。本当にあれは嬉しかったですね。

  ●計画停電が始まり、すべてのライフラインが止まった:結局、水とガスが1カ月くらい止まったままでしたので、ホテルでお風呂を借りたりしていました。しかも計画停電まで始まって。「水とガスが止まっているのに電気まで止まるの!?」って。夜に停電がある日は日没までに食事を済ませ、みんなで布団にくるまって2時間の停電を耐えました。さすがにライフラインがすべて止まった時は悲しくて寒くて涙がでましたね。でも、「こんな状況だから仕方ないよね」なんて子どもたちと話していました。

  ●子どもたちを連れて大阪の実家へ:食料もままならない状況で3人の子どもに生活を強いるのも申し訳ないし、放射能の心配もあったので、次女の小学校の卒業式を終えてから大阪の実家に子どもたちと疎開しました。3月の26日か27日だったと思います。主人の職場にはシャワーがあり、都内なら食事もできるということで、主人だけ弁天の家に残りました。新学期が始まる直前にこちらに帰ってくるとまだ水とガスが止まっていて。主人の会社からホテルを斡旋してもらって、何日かそこにお世話になりました。余震も続いてライフラインも止まってという大変な時期でしたが、子どもたちは気丈に耐えていたように思います。あのときは、いろんな人に支えてもらって乗り切れた感じですね。

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