高洲在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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高洲在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000079
説明・要約
●マンション5階で揺れを感じる:震災が発生した当時、私は専業主婦だったため、マンションの5階にひとりでいました。そのとき、夫は浜松町の会社に出勤しており、子供はふたりとも学校へ行っていました。いつもよりちょっと大きな揺れだな……とは思ったのですが、家の中のものが落ちてきたり、壊れたりといったこともなかったので、さほど気にもしていませんでした。今回の地震がすごいことになっていると実感したのは、学校から帰宅してきた小学校6年生の長男の話を聞き、さらに一緒にテレビでニュースを見たときでした。長男は卒業式直前ということで通常より下校時刻が早く、地震が発生したときにはちょうど家へ向かって歩いている最中でした。道路から泥水が噴き出し、どんどん道路を覆っていくなか、たまたま居合わせた友人の母親に先導され、危ない箇所を避けて帰ってきたとのことでした。
●ニュースを見て、初めて震災の深刻さを知る:当時、液状化という言葉さえ知らず、息子の話を聞いても、一体何が起こったのだろう……と思う程度だったのですが、ニュース速報で津波の映像などを見て、はじめて地震の規模の大きさを知りました。都内も混乱状態にあると報道していたので、急いで夫に電話しました。すぐに連絡が取れ、とりあえず互いの無事を確認。夕方には、歩いて帰るから舞浜駅まで迎えにきてとのメールが入っていました。娘については小学校に通っていたので、特に心配はしていませんでした。特に学校からも連絡はなかったのですが、外を見ていると迎えに行く親たちの姿が何人も見えたので、とりあえず私もすぐに学校へと向かいました。実は震災の1年前まで宮城県の仙台に住んでいたのですが、報道で仙台の様子がすごいことになっているのを知り、知人たちのことがとても心配でした。メールを何度もしたのですが、結局その日は連絡がつきませんでした。
●液状化の影響について初めて認識:結局、夫は10時頃帰宅しました。道路などもよくわからず、遠回りしたりしながら5〜6時間かけて帰ってきたとのことでした。コンビニなどはすでに品切れ状態になってしまったようですが、会社でペットボトルの水やカロリーメイトなどが配られたため、随分と助かったと言っていました。引っ越してきたばかりだったため、夫も液状化についてはほとんど知りませんでした。舞浜駅周辺にたどり着き、道路のあちらこちらが波打って泥水に覆われている様子を見て、「一体、何が起こったのだろう」と不思議に思ったと言っていました。あとになって初めて、ニュースなどで液状化問題について知ったわけです。液状化のことを知っていたら、舞浜駅まで迎えにきてくれなんて無茶なこと頼みはしなかったと、後で夫は言っておりました。