高洲在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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高洲在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000080
説明・要約
【震災当日】
●約1カ月もの間、ライフラインが途絶える:ガス、電気は大丈夫でしたが、水道、排水が使えなくなってしまいました。復旧したのは、4月の第2週目に入ってからです。震災発生から2〜3週間で徐々に海側から復旧していき、最後にライフラインが元に戻ったのが、私たちが住む高洲でした。仙台に住んでいる友達に、「逆に仙台よりも千葉のほうが大変だわね」などと言われてしまったくらいです。その間、2回ほど葛西の銭湯に行きました。夏ではなかったので、まだそれだけで済んだのだと思います。洗面器のなかにお湯を入れて体を洗い、濡れたタオルで体を拭いていました。洗濯もできないので、何日分かぎりぎりまで溜めて葛西のコインランドリーに行っていました。食糧の備蓄はそれほどなかったのですが、食糧に困ったという記憶は特にありません。橋を超えて葛西まで行けば、通常通りスーパーも営業していましたので、そこで必要なものを買うことができました。ただ、断水状態で排水もできませんでしたので、料理といった料理はほとんどできませんでしたね。
 ●排水の問題は予想以上に深刻:一番困ったのが、排水の問題です。マンションに備蓄してあった簡易トイレを使っていたのですが、家族4人分となるとかなりの量が必要となってきます。もちろん仮設トイレもマンションの敷地内や学校にもあったのですが、やはりなかなか使う気にはなりませんでした。特に小学生の娘は嫌がって、学校でトイレに行きたくなったときは急いで家まで走って帰ってきていたくらいでした。排水の問題にこれほど労力を使うとは、思ってもいませんでした。いざというときのためにも、家族の人数に合わせて常に用意しておくことが大切だと実感しています。
 ●震災直後の卒業式:当時、小学校のPTA役員だったのですが、それがとても大変でした。ちょうど震災が起きたのが卒業式の一週間前だったため、翌日から休校になり、卒業式も中止ということになりました。もちろんホームページにもお知らせを出したのですが、見る人は限られているのでクラス全員の家庭にメールをし、メールを受け取ったかどうかの確認を行いました。なかには実家や遠方の親戚の家に避難してしまった方もいて、なかなか返信がこなくてヤキモキしたのを覚えています。卒業式は中止ということに決まったのですが、それでも一生に一度の小学校卒業式です。どんな形でもいいから、やはり卒業式だけは参加したいという声がしばらくしてから挙がってきました。先生方もいろいろ考えてくださり、トイレが使えないため、できるだけ短い時間で卒業式をということで、服装も平服のまま、急きょ開催することになりました。今では、それが一番感慨深い思い出です。