日の出在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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日の出在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000086
説明・要約
【震災当日】
●阪神・淡路大震災の経験から水を大量に備蓄していた:阪神・淡路大震災の経験から、水を200Lほど備蓄していたんです。だから断水になってもしばらくは水の心配がありませんでした。でも断水期間が長かったので、近所の給水所に行ったこともありましたね。結局、2週間くらいで水が出ましたが、下水がまだダウンしたままでトイレやお風呂は使えません。主人は公園の仮設トイレを使っていました。うちの方は200戸くらいある集合住宅地で、震災直後の土日は住民総出で泥かきをしました。うちの自治会はしっかりしていて、水をどこかから確保してきて購入してくださり、1世帯に1ケースずつ配ってくれたりして助かりました。
●3日後からは自治会の仕事をした:月曜日になって主人は仕事へ。液状化のあとが乾いて砂ぼこりがひどかったので、家の中の掃除をしたり、自治会のお手伝いをしていました。地盤改修工事のことや防犯の呼びかけなどをメールで配信するのですが、PCをお持ちでないご家庭には、紙に印刷してお渡ししたりしていました。原発事故後には自治会で放射線計測器を購入し、毎日の計測結果を全戸に配っていました。液状化で家の境界線もめちゃくちゃになっていたので工事をどうするかという話が次第に出てきました。でも市の方針が決まるまでは工事もできず。結局、200世帯全体で地盤強化の工事が行えると決まったのは昨年になってからです。家が傾いた方などは、それより前に工事をスタートさせていました。
●計画停電は免れたが、ガソリン、原発事故など不安だった:震災地域だったので計画停電がなかったのは幸いでした。冷蔵庫が止まることはないですから、都内のスーパー銭湯に行ったついでに食料をまとめ買いしたことも。ガソリンは満足にいれられなくて不便でしたよね。放射能のことも心配でしたね。あの事故が起きるまでは息子も給水所に行きましたが、事故後、息子はなるべく家にいさせました。