弁天在住 40代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
浦安市における東日本大震災の記録コンテンツのご利用について(利用規約)
弁天在住 40代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000103
説明・要約
●都内のオフィスで地震に見舞われる:地震が発生したときは、都内の会社で通常のように机に座って仕事をしている最中でした。オフィスは6階にあったのですが、ひどい揺れでしたね。揺れた瞬間、思わず机の下に潜り込みました。かなり長い間揺れが続き、この状態ではおそらくすぐに電話回線が混雑して通じなくなるだろうと思いました。そこでその態勢のまま、揺れている最中ではありましたが、家族に一報を入れました。とりあえずは無事であることを確認し合えたのですが、妻が「家がちょっと傾いた」というようなことを言っていたので、一体どういうことなのだろう……と、状況をきちんと把握できないまま電話を切ったのを覚えています。その後、揺れが収まってからは通常の勤務に戻ったのですが、やはりニュースが気になって仕方ありません。結局、ほとんど仕事に手をつけることができませんでした。
●その日は会社に留まるも、自宅の様子が心配:交通機関が止まってしまい、夜遅くになっても復旧しない状況でした。都内に住んでいる同僚たちは歩いて帰っていきましたが、私が住んでいる浦安まではかなりの距離がありましたし、この際に溜まってしまった仕事を片づけてしまおうと思い、会社に居残って徹夜することにしました。しかし、やはり地震のことが気になり、まったく仕事ははかどりませんでしたね。浦安が液状化の影響を受けていることもニュースで知り、とても心配でした。翌朝9時頃には東西線が復旧したので、すぐに会社を出たのですが、ダイヤはかなり乱れていました。とりあえず、浦安駅まで乗って行き、そこから50分ほど歩いて家に戻りました。浦安駅周辺は特に変わった様子はなく、ニュースで見た液状化の影響はそれほどではなかったのかなとはじめは思っていました。ところが、泥だらけになった車が走っているのを何台も見て、一体これはどういうことだろうと考えながら歩いていました。
●家族は余震に備え、近くの小学校で一夜を過ごす:震災当日、自宅には妻と小学生だった子供がいたのですが、余震の不安もあったりしたので、近くの小学校の体育館へ避難し、一夜を過ごしたそうです。話に聞くと、同じような人たちがかなりいたようですね。ひとり暮らしのお年寄りなども自主的に避難していたようでした。水や食料なども用意されていましたし、いざというときに周囲に人がいたほうが安心ということで、しばらくの間はそこで暮らしている人も多くいたようです。