北栄在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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北栄在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000181
説明・要約
●秋葉原の職場で被災し、とりあえず屋外へ:当時私は秋葉原の会社で働いていて、パソコン作業をしている最中にあの地震が起きました。最初は「いつもの地震かな」と思ったんですが、揺れがどんどん大きくなるし、長く揺れていたので怖くなって机の下にもぐりました。ずっと揺れていて乗り物酔いみたいに気分が悪くなりました。揺れが収まってくれてひと安心しましたが、上司やほかの同僚たちはほとんど外出中で、社内に残っていた同僚と「この後どうするんだっけ?」と言葉を交わしたのを覚えています。窓の外を見たらほかのビルから人が出ていたので、私たちも簡単な身仕度をして外に避難しました。外は人で溢れ返っていましたね。でも職場近くの避難場所も分からなくて、そこにいて良いのかも分からず。社内に責任者レベルの方がいなかったので、この後の仕事を続けるべきか、仕事にならないかの判断も付かない状態でした。
●自宅まで徒歩で帰ることにした:主人は木場で働いていました。携帯電話もつながらず、とりあえず私がこの後どうするか決まってから連絡しようと思い、しばらくは主人と連絡を取り合いませんでした。電車はたぶん止まってるだろうね、なんて話を同僚たちとしていました。外に出て30分もしないうちに会社に戻ろうという話になったのですが、私はそこから家に帰ることにしました。当時は子ども2人が保育園にいたので、早く会いたくて。秋葉原を出て3時間。西葛西に来たところで主人が車で来てくれて、そこからは車で帰りました。携帯は相変わらずつながりませんでしたが、いつ届くか分からないけどメールでやり取りしていてお互いの位置を把握していましたから。主人は車通勤だったため、保育園で子どもたちを拾ってから私を探しに来てくれていたんです。家族みんなが揃ったのでごはんを食べて8時か9時には自宅に着きました。
●自宅のライフラインは無事だった:マンションはエレベーターが止まっていて9階まで階段で上がりました。エントランスに管理人さんがいてくれて「ガスの遮断機が作動しているから」と一緒に部屋の前まで来てくださってガスを再開してくれました。自宅に入ると被害もなく、水も電気も無事です。