北栄在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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北栄在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000182
説明・要約
【震災当日】
●震災後、長女に異変が。しばらく仕事を休んだ:震災から3日目の月曜日は保育園が開いていたのかな。でもその翌日から保育園も休園になってしまい、私はしばらく会社を休みました。震災後は上の娘がずっと寝るようになってしまって……体調が悪いのかなとおでこを触っても熱があるわけでもなく。多分、精神的なストレスからだと思いますね。保育園がいつ再開されるかも分からなかったので、交代で子どもたちを預かることにしたんです。お友だちがうちに来たら、普通子どもは遊ぶじゃないですか。それでもうちの娘はずっと寝たままで。明らかにおかしい様子でしたね。ママ友とはスーパーの在庫状況などを共有していました。水が入荷されるとお年寄りたちがわーっと買い占めていってしまい、小さい子を連れた私たちは全然手も伸ばせないといった状況でしたからね。それに余震がずっと続いていて子どもと家にいても憂鬱になってしまうので、ママたちと会っておしゃべりしていました。ツイッターで情報を得る方法を教えたりとか。お互いの家庭で必要なものがあったらシェアするとか、それまでよりもママたちと深くお付き合いするようになりましたね。まず初日は私の家で預かって、そしたら翌日から保育園が再開しました。それから私は職場に復帰しました。電車に乗って家を離れるのがちょっと不安で、子どもにも異変があったこともあり、「仕事に行く意味ってあるのかな」とか考えました。
●震災後、地域の交流を強める活動を始めた:震災後は水や食料、ラジオなど防災対策をしていました。それも1年くらいですかね。玄関に置いていたけどそのうち奥の方にやってしまって、この前久しぶりにチェックしたら賞味期限が切れていたりとか。あの震災の記憶を忘れるってこともある意味大切なんですけど、ずっとあの記憶のままも辛いですし……でも全部忘れちゃうのは良くないし、それを子どもたちやほかの地域の方に伝えていく義務があるなと思うんです。それで、ここ3年くらい防災のイベントを友人たちと企画して行っています。以前から都内の友人とイベントごとをやっていたんですが、最近は浦安市内で。でも、地元にはネットワークがないので、まずは市民大学を受講しているような意識の高い方やその先生、行政の方にコンタクトを取りました。今の活動は、ある公民館で行われていた家庭教育学習に参加させてもらっている感じです。地域のいろいろな世代の方たちと繋がりを作っていき、子育てのことから災害時に地域の人同士で助け合おうといったことまで、なんでも語り合う場です。そうやって市民レベルでお互いを支え合えるような仕組みを作っていければいいですね。