高洲在住 40代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
浦安市における東日本大震災の記録コンテンツのご利用について(利用規約)
高洲在住 40代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000184
説明・要約
【震災当日】
●翌朝、新浦安の被害を見て衝撃を受けた:東西線が動いていることをネットで確認し、翌朝9時くらいに「これから帰るよ」と妻に連絡しました。そしたら「水を買ってきて!」って。水道が止まってしまい、どこに行っても水が買えないと言うんです。職場の自販機でカバンに入れられるだけミネラルウォーターを買いました。東西線で浦安駅に帰ってきて、水で重たくなったカバンを抱えながらやなぎ通りを歩いて帰りました。湾岸道路を越えたときに「何これ!?」でしたね。歩道が1mくらい落ちてしまっていて、市の職員の方が脚立を立てていてくれてね。橋を降りてすぐのあたりは液状化で砂が出ていて。新浦安駅前も砂と水でひどい状況でした。今川のあたりもかなりひどい状態で、東京学館浦安は野球場のネットを支えるポールが斜めになっていて、道にはスタックした車があったり。なんとか11時くらいに帰宅したら、妻と娘は「水が来た!」と叫んでいました。家の中はとくに被害がなく、水が止まっただけでした。
●震災から1週間は水の確保に奔走した:マンションの敷地の中はそれほど泥が出ていなかったかな……だから泥かき作業をした記憶がないですね。会社に自宅の状況を説明したら、翌週からは1週間ほど自宅待機になりました。上司からも「そんな状況じゃあ、家の事をやったほうがいいよ」って。自宅待機中は水の確保です。水は10日間くらい出ませんでしたね。トイレなんかも大の方は新聞紙にして丸めてゴミ袋に、小は便器に用を足して汲んできたバケツの水で流してと、とにかく何をするにも水が必要でしたから、高洲小学校の自衛隊の給水所に並びました。1日に何回も何回も汲んできて、廊下に水の入ったバケツを並べてね。これはトイレ用、こっちは手洗い用とか。あれ以来、水は家族全員が3日間過ごせるくらいは備蓄していますよ。風呂は最初の4日間くらい我慢して、葛西の銭湯に2回か3回ほど行きました。で、風呂へ行くにもガソリンが必要じゃないですか。あの時はガソリンがほとんど残ってなかったんですよ。だから風呂以外では車を使いませんでしたね。
●娘の卒業式ができて良かった:1週間ぶりに職場に復帰して、部長から「何か困ったことがあれば会社として援助するよ」と言ってもらえました。ただ、別に家が壊れたとかではないので、「大丈夫ですよ」とか会話を交わしましたね。娘は震災後そのまま春休みになって家にいました。非日常的な生活の中で、いつもより家のお手伝いをしてくれていましたね。3月30日か31日だったかな、娘の学校でとても簡易的な卒業式をやってくれてね、震災で卒業式がなくなってしまうよりは、やってもらえて良かったですよね。