今川在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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今川在住 40代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000186
説明・要約
【震災当日】
●翌朝、自宅周辺がひどい状態になっていた:翌朝起きて外を見たらビックリ!昨夜、足で感じたズブズブした感じは液状化で泥が出ていたからなんです。家の前には段差ができていて電柱は斜めになっていて。これが液状化というのを始めて認識しました。水道が止まっていたから入船南小学校の給水所に並びましたが、すぐに水がなくなってしまって。車で東小学校まで水をもらいにきました。小学校がそのまま春休みに入ってしまい、保育園も自宅待機できる人は待機となって、週明けの月、火は仕事を休みました。朝になると東小で水をもらって、洗い物をして、トイレを済ませてといった生活が続きました。
●子どもたちを連れて検見川浜の実家へ避難:月曜日は自宅にいましたが、やはり小さい子どもがいて心配だったので火曜からは検見川浜の実家に身を寄せました。主人は仕事があったので今川に残りました。水曜日くらいからは子どもを実家に置いたまま私も仕事を再開して、震災から2週間くらいしてから学童や保育園が再開したのかな……その時期には浦安に戻りました。
●毎日の食事は鉄板焼きで作れるメニュー:食事は電子レンジであたためるごはんと、ホットプレートで調理できるものでした。焼そばとか、毎日鉄板で作れるものです。葛西のお風呂屋さんに行ったついでに向こうのスーパーで買い物ができたので。あとはパンとか食べていましたね。
●新浦安が静かな街になっていた:今川は下水設備がだめになっていて、復旧したのは4月に入ってから。相当時間がかかりました。市からもらった簡易トイレなどを使っていましたね。お風呂はホテルや銭湯を転々としていました。ある晩、新浦安のホテルへお風呂を借りに行ったときに、メイン通りの街灯が全部消えていてそれは寂しい光景でした。私はディズニーランドが開業したころに浦安にやってきたので、その後ホテルがどんどん建てられて街が華やいでいった頃を知っているんですね。それがあの寂しさで。街が真っ暗でシェラトンだけが灯りがともっていて。不思議な光景でしたね。家にいても不安が頭をよぎることもあったので、なるべく人がたくさんいる場所、例えば「ららぽーと」に行って気を紛らせていました。遊んだり食事もそこで済ませてちょっとでも震災を忘れられるようにと。