日の出在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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日の出在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000058
説明・要約
【震災当日】
●人がどんどん流出して街は静かだった:水は2週間くらい止まっていましたかね。でも家にある程度備蓄していたし、自衛隊の大きな給水車が近くに来てくれていたので、水の確保に苦労したという記憶はあんまりないかな。私が心配性なもので、防災セットや簡易トイレ、車には家族全員分の寝袋も積んでいます。日の出あたりは、震災があってすぐ、遠くの実家などに避難した人が多かったんですね。子どもたちも春休みに入っていたし、ライフラインが止まって生活しづらいのに加えて放射能の事もありましたから。お盆時期のように閑散としていました。だから地元のスーパーにも物がないっていう事はなかったですね。美浜分館の後片付けをして、次の出勤日には本館に来ていました。通常営業もないから、パートの私たちは休みになりました。
●計画停電に不便を感じていた:計画停電の時期は不便でしたね。学校の用事が終わってスーパーに行こうとしたら計画停電が始まるから閉店しちゃったりしてね。自分の生活リズムと計画停電のタイミングを合わせるのに苦労しました。ある日なんか、埼玉の実家で洗濯とかを終わらせて浦安に帰ろうとしたら、計画停電が始まるってメールが来て。急いで帰ってきたけど停電が始まっていて、もう信号とかも消えてますからね……。3月の終わりに水道が復旧しました。それまでは葛西のスーパー銭湯に行ってましたが、ガソリンを使うと給油が大変でしたよね。どこのスタンドも売り切れていて、ようやく近所のスタンドが10Lの給油制限で入れさせてくれて助かりました。
●放射能の情報が少なく不安が増した:放射能の問題が起きたときは子どもたちにも外出を控えるように言い聞かせていました。放射線技師の友人が数値の見方とかいろいろ教えてくれたり、。ガイガーカウンターで計測している方がネットで中継しているのを見たりしました。国が公表している数値とあまり変わらなかったと思います。テレビをつけていても津波の映像が怖いばかりなので、ツイッターやネットでいろんな情報を仕入れていましたね。