日の出在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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日の出在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000068
説明・要約
【震災当日】
●2週間近く続いた、毎朝の水汲み:水道が使えなくなってしまったため、翌日から毎日、水汲みが始まりました。水道が使えるようになったのは、3月24日になってからです。それまで毎朝7時になると家の中にある一番大きな鍋とバケツを持って近くの中学校へ出かけ、約3時間並んで水を手にいれていました。2週間近くもこのような日々が続いたわけですから、相当なストレスだったと思います。でも、当時は津波で家を流されてしまった人たちのことを考えると、このくらいのことどうってことない、ここは頑張らなくては……という気持ちがとても強かったのだと思います。特に辛いと思い、ストレスを感じるようなことはありませんでした。さらに中学校のプールの水を汲んできては湯船に貯め、トイレ用に使っていました。今考えると、自分たちが入る湯船に虫が泳いでいる水を入れておくなんてことは考えられませんが、そのときはそれくらいしなければ、という気持ちでした。水を節約するため、紙皿の上にラップを敷いて食事をしていました。まともな料理はほとんど作れなかったのですが、遠くの友達が日持ちのする食料品などを箱に詰めて送ってくれたりもして、随分と助かりました。
●約10日後に、初めてのお風呂:震災以降、初めてお風呂に入ったのが、3月20日のことでした。それまでにも近所のホテルが開放されたりしていたのですが、大勢が希望したため整理券がもらえませんでした。10日近く経って、やっと銭湯へ行くことができました。東北の人たちのことを考えると、私たちはまだましという気持ちが強かったのでしょうね。毎日汲んできた水を沸かし、それで部分的に洗ったり、タオルで体を拭いたりしていたのですが、お風呂に入れなくてもさほど苦痛には感じませんでした。
●日常が戻ったのは、随分経ってから:日常が戻ったのは4月に入ってからでしょうか。日記を見ると、久しぶりにテニスをしに行ったなどと記されていますので。水汲みから解放されたのが、一番の理由だと思います。それでも、自分の頭や体から蛆がいっぱい湧き出した夢を見た、避難所でうずくまっている夢を見た、などとも記されていますから、気持ち的にはまだ正常には戻っていなかったのかもしれません。また、ゲームをしたりしている子供たちを見て、「どうしてその暇があるのだったら、ボランティアに参加しないのか」「東北の人たちのことを考えると、よく平気でゲームなんかしていられる。私の育て方が間違っていたのだろうか」と、必要以上にイライラしていたのを思い出します。今思うと、常に被害に遭った人たちのことを考え、24時間ずっと頑張り続けるなんてこと無理ですのに。あれほどイライラしていたのも、もしかすると非日常の生活という環境にあったからかもしれません。
●震災を機に、考え方にも変化が:震災を機に、気持ちのうえで大きな変化がありました。明日、何が起こるかわからない。だからこそ、今この瞬間を大切にしよう。健康でいられること、こうやって働かせていただけること。日々、いろいろな愚痴はあるけれども、そういうことを言っていられること自体がありがたい、と思うようになりました。直接、子供たちにどういう影響があったのかは計り知れませんが、被災という経験は彼らのなかでずしんとくるものがあると思うし、今後の人生の見方にも関わっていくのではないかと思います。家族がまとまり、皆で協力し合って乗り越えられたということを実感できたという意味では、一歩前進できたのかなと思います。