入船在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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入船在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000008
説明・要約
【震災当日】
●続々と集まる市民。しかし給水車が来ない:翌日からは入船小学校の避難所に派遣されました。避難所に着くと、市で備蓄しているスープとビスケットを配ったり。でも行ったものの、情報がほとんど入ってこなくて混乱しましたね。舞浜エリアの避難所では、震災当日からディズニーランドから帰られない方や帰宅困難者を収容していました。避難所で避難者の方の対応をしていると防災無線から「給水を始めます」との情報が流れました。そのため避難所に人がどんどん集まります。だけど給水車がなかなか来ない。給水車は市内の何ヶ所かを回る予定だったんですね。市役所は給水車が出発したタイミングでアナウンスしたものの、初めの給水所に人が殺到して、給水車の水が尽きて次へ進めず、入船北小に給水車がなかなか来なかったと……後で聞きました。市民の方たちはそれでも水を待っているわけで、混乱してもいけないので紙切れに番号を書いて「給水車が来たら番号順に必ず水を配りますから」とお伝えしました。結局、給水開始のアナウンスから2〜3時間して自衛隊の給水車が来ました。水道局の車もありましたね。東京都水道局も来てくれました。
●4月まで続いた災害復旧作業:その後は職員が何人かで簡易トイレセットを配る仕事もありました。凝固剤とか袋をセットして、下水が使えない地域を自転車で配って回って。4月の下旬くらいまでやってましたね。あと液状化で出た土砂を取り除く作業も。復旧作業中に腕を骨折してしまった男性職員もいたんですが、「みんなが泥をかいているのに俺だけ申し訳ないから」と簡易トイレセットの配布作業を続ける人もいました。4月上旬には水道が復旧して、下水はまだでしたが、遠方に避難していた方が街に戻ってきました。スーパーで再会して「久しぶり!」なんて声を掛けあったのを覚えています。