東野在住 50代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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東野在住 50代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
ファイルサイズ 136KB
コンテンツ番号 UT00000045
説明・要約
●勤務中の地震。液状化が始まっていた:総合福祉センターにある「こども発達センター」で働いていました。あの日は、その年度で最後のグループ療育が3時半から始まる予定で、準備を終えたところでした。地震が起きたとき、私はまずセンター内の保育室に飛んでいきました。揺れが長く続いたので子どもの手をしっかり握って「大丈夫、大丈夫」と声かけをしました。子どもに声かけをしながら、自分を励ましている感じでした。それから、心配して迎えに来ているお母さんにお子さんを引き渡しました。5時までは勤務時間だったので中に戻って片付けをしていました。そしたら外にいた人が「東野小学校は水道管が破裂しちゃったんだね。ほら、水があふれてきてるよ」と言ってました。後からそれが液状化だと知りました。
●帰宅途中、大きく変わった街の姿を見た:5時になって、私たち非常勤職員は帰ってよいと指示がありました。災害対応があるため、常勤の方々は残っていました。自転車で帰る途中は、あちこち泥が出ているし塀が倒れているし……もう見たこともない風景でした。5時30分くらいには東野の家に着いたと思います。塀が傾いていて玄関前の段差のところがぐちゃぐちゃになっていてショックでした。辺りには砂が噴き出していて、なんだか海のにおいがしました。室内に入ると水槽の水があふれて床が濡れていましたが、被害は少なかったです。両隣り2軒は大規模半壊になって、うちは塀が沈んだくらいで家自体は一部損壊でした。
●家族は無事。夫を新木場まで迎えに行くと……ライフラインは水が出ないだけで電気ガスはずっと大丈夫でした。家族の安否はメールですぐ確認できました。息子は横浜の大学にいて「生協に食料があるし、今日は帰らないよ」と即断でした。夫は品川で働いていたのですが、お台場と君津で起きた火災が職場から見えたらしいんですね。「人生終わったと思った」と後日言ってました。その日夫は、東京駅まで歩きました。夜になって有楽町線が動いたので、新木場まで帰ってきて、私が車で迎えにいきました。もう夜中でした。大渋滞で新木場まで1時間以上かかりました。駅に着いたらタクシー乗り場が長い長い行列になっていたんですね。それで夫と2人で帰るのももったいないと思い「舞浜方面に帰る方いませんか?」と並んでいる人に声をかけて、後ろに乗せて帰りました。まず富士見に住んでいる方たちの家に行ったら、富士見は何ともなってなくてね、道路ひとつ隔てた私の家の方とまったく違うのでビックリしました。あと2人は大阪から来た親子で、予約していたシェラトンホテルにお連れしました。真っ暗なドアの中でドアマンが立っていたのを覚えています。