市川市島尻在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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市川市島尻在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000098
説明・要約
【震災当日】
●震災後に気をつかったのは水の確保:地震後、水道自体は問題ないのですが取水制限がかかり、満足に水を使えない期間がありました。生活する上で水は欠かせないですからね。飲み水を買うためにスーパーにいったのですが、売り切れていて買えないこともありました。取水制限などの措置は3日ほどで解除され、北海道の親戚から水を送ってもらえたので、大きく困りはしなかったです。売り切れていたと言えば、乾電池も品薄でした。おそらくラジオのためだと思うのですが、皆さん同じことを考えたのだと思います。
●主婦のネットワークで情報をやりとり:私の住んでいる市川は被害が少ない地域なのですが、新浦安駅の近くに住んでいる友人のなかには被害の大きな方もいましたね。何度か「洗濯機を貸して」と連絡が来たこともありましたよ。なかでも小学生や小さいお子さんがいる家はいろいろ大変だったようです。なので、コインランドリーの開店状況や営業時間、水を売っているスーパーの情報などをお互いに流したりしていました。私だけではなく、主婦の方は皆さんそうやって生活に密着した情報交換をされていたみたいですね。
●震災後1年経って訪れた新浦安:地震があってから1年ぐらいは新浦安の方には近づかなかったんです。やっぱり怖いというのがありましたから。1年ぐらい経って、久しぶりに新浦安の方に行ってみた時には驚きました。テレビのニュースなどでもちろん見てはいたんですが、実際目の当たりにすると「1年も経っているのにまだこんなにもひどい状態なのか」と思いました。いたるところで道路が大きく盛り上がっていて、自分の住んでいるところとの地盤の違いを大きく感じましたよね。私が北海道出身で震度6の地震の経験してるから余計に違いを感じたのかもしれません。4年経った今でも運動公園の方は道がでこぼこなところもあり、まだまだこれからということを感じます。