美浜在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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美浜在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000044
説明・要約
【震災当日】
●マンション自治会のボランティアに参加 翌朝早くに主人が帰ってきました。マンションの自治会がボランティアの募集をしていたので、主人、次男と3人で参加しました。たくさん人が集まっていましたね。私はマンション内の安否確認で、帰宅していない世帯や不明者がいないか確認して回りました。主人は水の確保ということで、裏手のブライトンホテルから提供していただいた井戸水を配っていました。次男は留守宅に空き巣が入らないように見回りをしていました。
●震災後、塾はいつも通り開けていた 塾はいつも月曜と木曜に開けていたんですね。震災後は学校が休校になっていましたから、ママが働いているご家庭のお子さんたちを預かっていました。余震があると不安がるお子さんもいましたが、「何かあったら机の下にもぐって」と「ひどい時は学校までちゃんと連れて行くからね」と言いました。スタッフには「余震がきても絶対騒がないで」と伝えていました。大人があたふたすると、子どもたちは一層不安になっちゃいますからね。揺れたらまず出口を確保して、どんなに怖くても、大人は平気な顔をして下さいとお願いしました。
●トイレや風呂の使えない日々 断水していた頃に江戸川のスーパー銭湯に行ったこともありました。車で浦安橋を渡って江戸川に入るともう別世界でしたよ。電柱はまっすぐ立っているし、コンビニには物がたくさんあるし。銭湯の駐車場に入るときに並んで、施設に入るときに並んでと、だいぶ混雑していましたけどね。 仮設のトイレは臭いのと、すぐいっぱいになってしまうんですね。マンションの近くにあるオリエンタルホテルでトイレを借りたこともありました。ホテルがトイレを解放していたわけではないのですが、明らかにトイレを借りに来た私たちがロビーを歩いていても、それを咎めるスタッフはいません。むしろ「こんばんは〜」なんて。すごくありがたかったですよね。だいぶ落ち着いてから、主人はお礼の電話をホテルに入れていました。 あと、お風呂を解放してくれたホテルもありました。大浴場のあるホテルは大浴場を、それ以外は客室のお風呂を使わせてもらえました。それを市の職員の方々が誘導していました。職員の方がちゃんとやってくれていたから、あの時期に不安になることはなかったですね。「こんな一生懸命に職員がやってくれる街だから、浦安は大丈夫だ」って思えましたね。
●震災後すぐに出会ったカップルの話 地震の翌日かその次の日だったかな……まだ市の職員やボランティアが道の泥かきをする前でした。若いカップルが道の泥かきをしていたんですね。お昼過ぎに塾の整理をしにいく時に一度見かけて、仕事を終えて夕方に帰ってくるときにもまだやっていて。「ずっとやっていらしたんですか?」って聞いたら「まぁ休憩しながらですよ」なんて。 話を聞くと、その方たちは元町に住んでいて自宅は平気だと。でも、こっちの方は液状化で大変だからスコップ持ってきてやっているんだって。そうやって自発的にやってくれている方がいるのは感激しましたね。