市川市南行徳在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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市川市南行徳在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000048
説明・要約
【震災当日】
●15日から仕事再開:15日の火曜日から仕事を再開しました。でもしばらくの間は計画停電があったので、停電が始まる時間までの勤務でしたね。計画停電になると信号も消えてしまうでしょ。夜なんか街が真っ暗になって怖かったですよ、だから懐中電灯と笛はずっとバッグに入れています。
●液状化の被害が大きかった順天堂病院:あの当時、私は足をケガしていて順天堂病院にお世話になっていて。震災後に病院に行くと、液状化で地盤が落ちてタクシー乗り場のところがデコボコで下がってましたね。病院に行っても、「今は検査ができない状況なんです」と言われた記憶があります。
●今川の友人に差し入れ。街が粉塵で霞んでいた:今川に友だちがいたので、食べ物を差し入れに行ったこともありました。自宅のほうで買った物を届けに。今川の辺りは特に被害がひどくてね……液状化で泥が噴き出したあとが乾いて、車が通る度に粉塵が舞い上がってね。鹿児島の火山灰みたいな。街が霞んでいましたよね。マスクをして自転車に乗っていました。道もぼこぼこになっていて自転車で走るのも大変でした。場所によって震災の被害を受けたところと、そうでないところの差はすごいですよね。
●茨城にある夫の実家に被害がでていた:私の実家は大丈夫だったんですが、つくばにある主人の実家は塀が崩れて瓦が落ちて壁が崩れてっていう感じで。人は無事だというのは電話で聞いていましたけど、しばらくしてから高速道路が開通したときに、主人の実家の様子を見に行きました。