海楽在住 50代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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海楽在住 50代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000135
説明・要約
●風邪で寝ている息子が心配でまず連絡:震災当日、私は都内の職場にいました。妻はパートに出ており、家の中にはたまたま風邪で学校を休んでいた息子が一人でいました。息子は当時中学生でしたが、彼のことが気になって地震直後すぐに電話をしました。神戸の震災のときに私の弟がまさにそのまっただ中にいたのですが、地震直後は通じた電話がすぐに通じなくなったという経験をしています。そのときのことがすぐに頭をよぎり、すぐに息子に電話をしたわけです。息子は幸い無事でしたが、どうやら相当怖い思いをしたらしく、しばらくしてから近所の友人の家に駆け込み、そこにずっといたようです。震災から2〜3週間しても余震があるたびに起き上がり、「逃げよう」と言って家を飛び出していました。息子にとって、あのときの恐怖は相当だったようです。
●妻は近くのスーパーで被災:妻は近所のスーパーで食品を扱う仕事をしていたのですが、地震発生時、店内はかなりひどい状態だったと言っていました。買い物客たちの中にもまったく状況が把握できずにパニック状態に陥ってしまう人もいて、従業員が大声を張り上げて誘導しなければいけなかったようです。息子のことが心配だったので、途中でいったん家に戻ったと言っていました。息子も家の中も無事であることを確認し、またすぐに仕事場へ戻ったそうです。
●都内の職場から徒歩で帰宅:私は職場にいましたが、ニュースを見ることもできず、何が起きたか把握できない状況でした。ラジオでやっと津波のことを知ったのですが、詳細についてはまったくわかりませんでした。交通機関が止まってしまっていたので、その日は徒歩で帰宅することにしました。途中、九段会館の屋根が落ち、消防車や救急車が集まっているのを見ました。そのときに、この地震がいかに大きく酷いものであるかを認識しました。道路で、私と同じように歩いている人を多く見かけました。途中コンビニエンスストアに寄っておにぎりを買って食べたのを覚えています。道中の景色は普段とそれほど変わらず、浦安橋を渡っても特に異常は見られませんでした。ところが家に近付くにつれて、様子が一変し始めました。あれにはとても驚きました。近所の人から携帯メールで様子を聞いてはいましたが、これほどひどいとは思っていませんでした。電柱は地面に埋まっていますし、道路も割れて盛り上がっています。それは悲惨な状況でした。