海楽在住 50代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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海楽在住 50代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000136
説明・要約
【震災当日】
●スポットによって被害状況はさまざま:被害の規模は、隣近所であっても本当にさまざまでした。私たちは賃貸住宅に住んでいるのですが、家の入口付近にひび割れが入った程度で特に被害はありませんでした。ところが向かいの家は庭に地割れが走り、さらに少し先にある大家さん宅はひび割れで門の扉が開かない状況になっていました。駐車場はアスファルト一枚だけが浮き上がったように残り、その下には空洞ができてしまっていました。我が家は家の中もほとんど被害がなく、棚の上に置いてあったものがずれたりはしていましたが、何か落ちて割れたり壊れたりといったことはありませんでした。ですが、ライフラインについてはきちんと把握できない状況にありました。電気、ガスは問題なかったのですが、水の出がかなり悪い。そして下水道がどうなっているのかもわかりません。下水は流してはいけないという噂があり、それも本当かどうか確信できませんでした。
●下水道を使ってよいのかの判断に困る:そこで市役所に問い合わせたのですが、やはり状況を把握できていないとのこと。「できるだけ流さないようにしてください」と言われ、大変判断に困りました。「使えることは使えるが、使ってしまうと復旧に支障が出る」とのことでした。確かに側溝や道路がひどいことになっているのを見ると不安でしたが、地面の下の見えない場所のことなので、排水を使うにも恐る恐るといった状況でした。できる限りトイレは使わないようにしていました。私は職場で済ませるようにしていましたが、家の中にずっといる人たちは相当困ったかと思います。近くの学校は閉鎖していたために使えませんでした。仮設トイレが1q先にありましたが、とても夜間に行って利用できるような状況ではありませんでした。おそらく市でも状況把握にかなりの時間を要したのだと思います。時間経過とともにいつの間にか復旧したといった印象でした。かなり後になってから、市のホームページで復旧を確認しました。側溝が破損した部分にポンプを設置したりして復活させたようです。
●都内と浦安の状況の違いにいたたまれず:震災以降、息子の精神状態が不安定だったため、1カ月ぐらいは家族3人でリビングルームに寝ていました。もちろん息子が一人で眠れない状況にあったからということが大きな理由ですが、いつ地震がきてもすぐに避難するには1階の部屋にいたほうが安全だという気持ちもありました。私としても職場と自宅のギャップに耐えられない気持ちもあり、週の半分は仕事を休んで近所の手伝いやボランティア活動を行っていました。液状化による泥を取り除く作業がほとんどだったと思います。仮設トイレの掃除や高齢者のお宅への水運びなども行いました。家でできることが多かったので、仕事に影響が出ることはありませんでしたが、職場には被災地の状況があまり伝わっていなかったため休暇届けを出して休んでいました。職場の人たちが理解してくれたのは1カ月ほどしてからです。テレビで浦安の様子が大きく報道されるようになってからのことでした。