入船在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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入船在住 50代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号UT00000108
説明・要約
【震災当日】
●都内のホテルに滞在することに:翌日、朝いちばんに夫が帰ってきて、ホテルに移ろうということになりました。ところが浦安市内のホテルはどこもいっぱいで、部屋が取れません。そこで、都内のホテルに電話したらまだ空いていたので、さっそく予約を入れ、翌々日にそちらへ移りました。結局、2、3泊はそこに滞在していたかと思います。ホテルに滞在しながらも毎日様子を見に、マンションへ戻ってきていました。ホテルへ移ってから3日目ぐらいでしょうか。水が出るようになったので、マンションに戻ることにしました。ただ周辺のエリアはまだ断水が続いていて、スーパーなどはペットボトルの水を求めて長蛇の列ができていました。給水車も来ていたようですが、そちらはさらに長蛇の列になっていたようです。
●ライフラインが止まって、大混乱に:家に戻ってからしばらくして、市から排水を流してはいけないというお知らせメールが携帯に届き、以降は簡易トイレを1週間ほど使っていました。排水が使えないということで、料理はほとんどせず、近くのパン屋で惣菜パンを買ってきたりしていました。震災直後にもかかわらず、毎日パンを焼いてくれていたことに、とても感謝しました。小さなパン屋だったのですが、本当にありがたかったですね。しばらくの間、スーパーでは大混雑が続いていました。品物がほとんどなくなってしまったので皆、残っている物を手に入れようと殺気立っていました。物がないっていうことは、人の性格をこんなにも変えるものなのだ……、ということをそのときつくづくと実感しましたね。すぐ食べられるような食料品やペットボトルの水を手にいれるために、人を押し飛ばしたりしている人もいました。こんなときは自分のことで精一杯で弱者がより弱い立場になるのだ……、ということをまざまざと見せつけられたような気がします。
●原発が大きな問題に:そのうちに、原発のことが頻繁に報道されるようになりました。放射能汚染のことが大きな問題となり、ネット上でもさまざまな情報が飛び交っているという状況でした。福島だけではなく、こちらにも影響があると知り、とても不安でした。そんななか、とうとう夫が「僕は仕方がないけれど、君だけでも安全に暮らさなくてはならない。今すぐ実家の名古屋に戻ってほしい」と言い始めました。まだ確かなことはよくわかっていないのに、すぐに噂にまどわされる夫を見て、どうして自分なりに冷静になってよく考えないのだろう……、と腹立たしく思い、随分と言い合いをしたのを覚えています。
●震災体験後に思うこと:震災を機に、電気を節約するようになりました。また、エレベーターの中で人に出会うと、以前はまったく話さなかった人たちとも挨拶をしたりするようになりましたね。以前からも食糧や水をいざというときのためにストックしていたのですが、さらに慎重になりました。5日〜1週間分の飲み水と食糧、簡易トイレは必需品です。各自の責任で用意しておくようにと、マンションの管理組合のほうからも通達がありました。また、エレベーターが止まってしまった場合のことも常に念頭に入れておかなくてはなりません。実際に主人が試してみたのですが、階段を降りるだけでも30分かかったそうです。これが31階まで上るとなると、相当な体力と忍耐が必要だと思います。エレベーターが使えないときのためにも、日頃からのストックは大切だと実感しました。