高洲在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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高洲在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000028
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●ライフラインの復旧まで ライフラインの復旧まで ライフラインの復旧まで ライフラインの復旧まで 私の家は、ライフライン 3 つとも全滅でした。電気・ガスは1週間ぐらいで復旧し、水道は 2〜3 週間 で復旧したと思います。でも下水は復旧に 1 カ月ほどかかり、これが一番困りました。水道が出るよ うになっても、流すことはできないので洗濯や風呂、トイレは使用できません。仮設トイレも設置さ れたのですが、夜は怖いですしできるだけ使いたくありませんでした。毎回、元町のスーパーまでト イレを借りに行かなければならずとても大変でした。お風呂も使えないので、元町の銭湯に通いまし た。この時は、営業を止めていた銭湯も営業を再開していただいていたのでとても助かりました。
しかし飲み水に関しては、九州の友人などが水をどんどん宅急便で送ってくれたおかげで、給水車の お世話になることはありませんでした。
●地震の後の困った影響 地震の後の困った影響 地震の後の困った影響 地震の後の困った影響 いくつかあるなかで一番困ったのは、ガソリンでした。車移動が多いのでガソリンは必須なのですが、 地震後浦安では 1 人 10L の制限がかかり、満足に給油できませんでした。しかも給油するのにとても 長い列ができ、最高で 3 時間ほども待たなければなりませんでした。必死で並んだのに 10L では足り ませんので、行徳の方まで給油しに行き 30L ほどいれました。
またマンションの駐車場も液状化の影響で亀裂が入ったところや、泥水が噴き出したところがありま したので、修理をしなければなりませんでした。歩道や道路がガタガタでとても歩きにくく、娘もベ ビーカーを押すのが大変だったと言っていました。
●娘の出産 娘の出産 娘の出産 娘の出産 母の施設に先に行っていた娘は、実は出産間際の妊婦で、予定日が地震のすぐ後だったんです。出産 を予定していた病院も出産時間が計画停電に当たるかもしれないと、先生方が発電機を準備したりし て大変な様子でした。余震が起こる中で心配だったのですが、地震の 3 日後の 14 日に無事出産するこ とができました。
でも、それからがまた大変でした。当時は原発の話があったので、娘は退院して 2 日後に京都の友人 を頼り避難したんです。それから付き添いで京都に行ったり、洋服などを運んだりと千葉と京都を何 度か往復していました。
このような生活をする中で、ひとつだけ後悔していることがあります。施設に入所していた母は地震 のあった年の 7 月に亡くなったのですが、新しく生まれてきた孫に皆がかかりきりになってしまい、 あまり気にしてあげられなかったんです。そのことだけは今も本当に心残りです。