弁天在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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弁天在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000077
説明・要約
 ●中学校で勤務中に地震発生。生徒を誘導して校庭へ 震災当時は図書館の司書をしており、中学校の図書室にいました。本棚は壁に取り付けて あるのでよかったのですが、書庫はスチール棚を置いてあるだけの状態だったため本が崩 れ落ち、床に散乱してしまいました。
本を乗り越えてどうにか脱出したのですが、放課後であっても校内にはまだ多くの生徒た ちが居残っている状況でした。女生徒たちは恐ろしさでキャーキャー叫んでいますし、な かには過呼吸になってしまう子もいました。
図書室の前に広いスペースがありましたので、とりあえず大きな揺れが収まるまでそこに しゃがみこんでいましたが、すぐに生徒たちの元へと走っていきました。生徒たちを誘導 して昇降口前庭へ出ました。校庭は泥水が噴き出して、まるで海のようになっていました。
液状化を避けるようにして、学年ごと全員外に避難しました。そのうち「津波が来るかも しれない」とひとりの教師が言い出し、今度は全員を屋上に避難させることにしました。 しばらく待機していると、今度は周囲のマンションの住民たちが次々と学校へ押し寄せて きました。皆、泥だらけになって、なかには犬を連れてくる人もいます。もちろん避難場 所になっているからなのですが、瞬く間に大勢が校内に入ってきて、その対応にも必死で した。
●夜まで生徒や住民の安全確保と対応に追われる 断水してしまったので、トイレをどうするかということも悩みの種でした。女性教師がプ ールの水が使えると言い出し、職員も生徒も一丸となってバケツリレーして汲みだしたの を思い出します。
実はそのとき、産まれたばかりの子を抱えた長女が家にいまして、学校の仕事に追われな がらも、娘と孫のことがかなり心配でした。少し落ち着いてからやっと連絡が取れ、とり あえずは安否を確認。「今日は遅くまで帰られそうにない」と伝え、また仕事へと戻りまし た。
結局、その日は生徒と住民たちの対応に追われ、一段落したのが 9 時頃でした。私は娘と 孫のことがあったので、そのまま帰らせていただきましたが、職員のほとんどはそのまま 2、 3 日泊まり込みで対応にあたったと聞いています。
●家で待っていた家族と一緒に次女が住む松戸へ避難 勤務校から自宅まで、通常であれば歩いて 40 分ほどの距離を 2 時間かけて帰りました。液 状化がひどく、歩道のどこが割れているかさえもわかりません。歩ける道を探り出すよう にして、転ばないように慎重にゆっくり歩いて行きました。
ちょうどその日、松戸に住む次女が、産まれたばかりの子供を見ようと自分の子供を連れ て浦安の自宅まで遊びにきていました。松戸であればライフラインが大丈夫だから、とい うことで、夜の 11 時頃、家族全員で車に乗り込み、次女が住む松戸へと避難しました。