入船在住 60代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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入船在住 60代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000081
説明・要約
 ●市ヶ谷駅で被災。徒歩で会社へ向かった 当時は御茶ノ水で会社を経営してまして、私の乗った電車が市ヶ谷駅に着いたときにあの 震災が発生しました。停車中なのに電車がすごく揺れてね、直感的に「これはものすごい 地震だ」と思いました。びっくりした女子高校生が電車から飛び降りようとしていたのを 車内のほうが安全だからと止め、その時にお堀の向こうに目をやると、ビルが弓なりにた わんでいるのが見えたんです。
電車はこのまま運休になるだろうと思ったので、揺れが止まってすぐ連れていた社員と一 緒に駅を出ました。外堀通りには道の中央に人がたくさんいて。御茶ノ水まで約1時間歩 いて帰りました。
●家が傾いたとの連絡があり、東西線で帰宅 会社に着いてすぐコンビニでおにぎりと水を調達しました。他の社員も外出中でしたが、 携帯がつながったのは 2 時間後くらいでしたね。家内からも連絡があり、多摩にいる次男 の嫁と連絡がつかないと。嫁は友だちの家に避難していて無事でした。
その日は会社に泊まることにして、テレビで東北の映像などを見ていました。会社に着い て1時間後にコンビニへ行ったら、もう何も売ってませんでしたね。そのうちまた家内か ら電話がかかってきて「家が傾いている」と言うんです。しかも「玄関前にある階段が液 状化で埋まってしまった」と。家の状況が心配なので帰宅することにしました。夜の 11 時 頃から一部の電車が動いていたので、会社から茅場町まで歩いて、そこから東西線で帰り ました。最初はそれほど混雑していませんでしたが各駅で人が増えていき、夜中の2時に 浦安駅に着いた頃にはすし詰め状態でしたね。
●元町と新町はまるで別世界のようだった 浦安駅のまわりは静かで液状化の被害も出ていません。柳通りを歩いてきて高道路を過 ぎたあたりで歩道が 1m50cm くらい落ちていたんです。そこからが大変でした。美浜の方 に来ると道が水田のようになっていて……高のあっちとこっちでは世界が違っていまし たよね。自宅に着くと、家の前に亀裂が走っていて。家に入っても興奮状態でしたから家 が傾いているのに気付かなくて。そのままその日は就寝しました。