富岡在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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富岡在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000105
説明・要約
 ●家の中に一人でいるときに地震発生 2階でパソコンに向かって仕事をしているときでした。その時、家にいたのは私ひとり。主 人はたまたま長野の別荘に行っている最中でした。大きな揺れが続くなか、机の上に置い てあった小さなテレビが落ちないようにと、必死に押さえていたのを覚えています。
揺れが収まったので 1 階へ下りてみると、幸い額に入れた写真が 1 点落ちていただけで、 ほかは無事でした。浦安には平成 3 年から住んでいるのですが、当時から液状化のことは 言われていました。家を建てるとき、かなり基礎をしっかりとしてもらったのが幸いだっ たのかもしれません。
●液状化現象を目の当たりに 地震が収まってから庭に出てみたのですが、水と泥がドボドボとあふれ出てきていて、こ れは大変なことになったなぁ……と思いました。もちろん液状化という言葉は知っていま したが、実際に見たのはそのときが初めてでした。それまでにも液状化によって地面が泥 だらけになってしまっている光景をニュースや写真で見たことはありましたが、それは発 生後の光景ですよね。実際に目の前で、地面の所々から湧き水のようにものすごい勢いで 噴き出しているのを見て、唖然としてしまいました。
家の目の前が公園になっているのですが、そちらはもっとひどいことになっていました。 いつ止まるのかと思うほどの勢いで、泥水がどんどんあふれ出てきています。その後、周 囲の様子がとても気になったので歩いてみたのですが、液状化現象によって、道路のいた るところに穴が空いていました。
●家族との連絡について 娘が3人いまして、当時2人はひとり暮らしをしており、1人は一緒に住んでいたのですが、 娘たちとはすぐに連絡が取れたと記憶しています。長女は当時、市川で働いていたのです が、自分のアパートには戻らず、その日は歩いて私たちの家のほうに帰ってきました。2 番 目の娘は一緒に住んでいたのですが、当日は勤務先から帰って来られず、帰宅したのは翌 日だったと思います。
夫と連絡が取れたのは、夜になってからでした。開口一番、「どうしてメールに返信しない のだ」と怒鳴られましたが、そんなことを言われましてもね……。当時、携帯はずっと不 通になってしまっていましたから。長野で浦安の状況をニュースで知り、ひどく心配にな ったのでしょうね。こちらの様子を伝えるとちょっとは安心したようでしたが、翌日急き ょ戻って来ることになりました。家に戻ったのは翌日の夕方ぐらいだったかと思いますが、 多くの道が通行止めになってしまっていて、かなり大変だったようです。