弁天在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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弁天在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000110
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●翌日、東西線で帰宅。街の様子を初めて見た 翌日は先生のお宅で朝食をいただき、11 時頃に下総中山駅から電車で帰りました。ダイヤ は乱れていたと思いますが割りとすぐに電車が来て、西船橋から東西線で浦安駅へ。京葉 線がまだ動いてなかったのかな、京葉線で帰る方も浦安駅まで一緒に行きました。主人か らメールで「浦安が浦安じゃなくなってるけど、ビックリしないで」と言われていました。
やなぎ通りを走る 2 番バスがいっぱいで、堀江から東野をまわる 4 番バスに乗りました。 川の所がひどくて、富岡交番など街の被害が見えてくるとビックリしましたね。家に着くとまわりが液状化になって泥がたまっていました。道路のあちこちに亀裂も入って。隣にある私の実家は塀が傾いてしまい、妹が注意の張り紙を付けていました。
●自宅のまわりは液状化と道路に亀裂が 家の中は無事でしたが、下水がダメになっていて 1 カ月以上はトイレ、洗濯などの排水が使えませんでした。お台場の大江戸温泉に行ったことも何度かありましたね。仮設トイレはやはりにおいがダメで、自宅のトイレにビニールをひいて犬猫用のトイレシートをそこに置いて用をたしていました。
食事は家にあったものや買ってきたものを食べていました。水道は出ていましたからお米 をといだ残り汁やある程度の排水はバケツに溜めて、庭にまくなどしました。隣の実家には母と妹が、もうひとりの妹が弁天にいましたが、こちらはご主人が平日は仕事でいない ので、うちの主人が代わりに給水所などに行ってくれていました
●息子の妻は里帰り出産で新潟にいた 息子は結婚して弁天のマンションに住んでいます。運が良かったのは、息子のお嫁さんが 出産で新潟に里帰りしていたこと。生まれて 2 カ月ほどの赤ちゃんとお嫁さんは震災の難 を逃れたんですよ。息子の家も下水がダメになっていたので、5月か6月くらいまでは新潟 にいたままでした。
●近所の犬仲間とおしゃべりして発散していた その後自宅を検査してもらいましたが、何も問題ないということで修理はしませんでした。 震災後しばらくの間は近所の犬友だちとよく中央公園でおしゃべりしていましたね。犬の 散歩がてらみんな公園に集まって、おしゃべりしてストレス発散ですよね。でもそこの公 園って地域の避難場所に指定されていたのに亀裂がいっぱい入っていて。「ここが私たちの 避難場所だったのよね」なんて話していました。