富岡在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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富岡在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000121
説明・要約
 ●都内での楽しいランチが一転、街が騒然となった あの日は都内にいました。目黒でお友だちとランチをして、店を出たとたんにあの揺れで す。最初は「何だろう?」と思いましたが、次第に揺れが大きくなって、地面にしゃがみ こんでいる女の子もいましたね。走っている車がジャンプするように跳ねて、街路樹がも のすごい揺れていました。私たちは頭上に注意しながらその場にじっとしているしかなか ったです。
揺れが収まってから駅に向かおうとしましたが余震も続いていたのでやめました。揺れて いるビルをいくつも見ました。街には人がたくさん出てきていたので、とりあえず人の流 れに付いていき、自然公園のようなところにたどり着きました。結構広い公園でしたが人 たちでごった返している感じで……通りすがりの方や地元の方とか数百人はいたと思いま す。しばらくの間は友人とベンチに座って、東北が震源だとか、津波がどうだとかを彼女 の携帯電話で見ていました。
●交通機関が麻痺して自宅に帰れない! 夕方になってきたので目黒駅に向かうことにしました。そしたら駅のあたりはものすごい 人がいっぱいいて、寒かったのもあり建物の中でじっとしていました。でもこれでは埒が 明かないのでどうにか移動することにしたんです。バス停に並んでも来るバスは満杯で、 道には歩いて帰る方たちで溢れ返っていて。
携帯電話が使えませんでしたから、公衆電話には長蛇の列ができていました。6 時過ぎくら いでしょうか、やっと公衆電話から自宅に電話できました。家には主人と息子がいて、ふ たりとも無事でした。こちらの状況を伝えて電話を切りましたがバスには相変わらず乗れ ず、駅にも入れない状態です。夜になって私鉄が動き出してね、娘が住んでいる自由が丘 へ向かうことにしました。でも娘の携帯とは連絡がつきません。なので自宅に電話して、 自宅のパソコンから娘の携帯に「お母さんがそっちに行くから」とメールを送ってもらい ました。結局、娘の家にたどり着いたのが夜中の 12 時くらいでしたね。そのまま娘の家に 1 泊しました。