富岡在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
浦安市における東日本大震災の記録コンテンツのご利用について(利用規約)
富岡在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000122
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●翌日、浦安の惨状を見た 翌日は自由が丘から電車を乗り継いで浦安駅に帰ってきました。そこからバスで自宅のあ\る富岡へ。バスを降りた途端「何これ!?」という状況です。道路はガタガタ、縁石はぐ ちゃぐちゃで。前の日に電話で「こっちは大変だ。公園がプールのようになっている」と 聞いていたんですけど、自分の目で見たときは「あぁ、浦安はこんなになっちゃんたんだ」 とショックでした。自宅はすでに水道が使えませんでした。1 週間くらいは止まっていまし たね。
●たくさんの友人に支えられたあの時期 日々のうがいや洗顔などで出た排水はバケツにためて外にまいてました。でも、お料理は やっぱり不便ですよね、どうしたって水を使うから。その点、30 年以上浦安に住んでいま すから、地元に友人が多いのが助かりましたよね。ジャガイモやタマネギなどを洗って、 皮をむいたものを元町の友人から分けてもらったりしていました。
●水の確保。友人から水を送ってもらった 震災後は水の確保が大変でしたよね。富岡小学校の給水所にも行きましたが、そのうち自 宅近くの第三公園の水道が出ることが分かり、時間帯によって出が悪くなっていましたが、 そちらへバケツを持って行ってました。
お風呂も入れませんから、市外のスーパー銭湯などに行きましたね。でも毎日行けるわけ ではないから、市販の体拭きシートも使っていました。飲料水は多少備蓄していたものが ありましたし、地方に住む友人からお水を送ってもらえました。
●ボランティアが活躍。元町との差を実感した マンションの自治会で簡易トイレを配ってくれたり、ボランティアの方が大きな容器で運 んできて生活排水用のお水を配っていました。震災から何日か経って、そういったボラン ティアの方々の姿が目立ちましたよね。うちは主人と息子がいましたから、彼らがせっせ と水を運んでくれましたね。マンションには高齢者だけの世帯もありましたから、息子が 水を運んだりもしていました。
3 月下旬になって水道が復旧して、ようやく落ち着いた感じでしたね。震災後はとにかく毎 日の生活に必死で、たまにマンションの奥様方とお喋りするのが息抜きでした。市内のあちこちに友人もいますから、元町に住んでいる方と話すと、私の家がある新町との被害の格差を思い知らされましたよね。富岡なんて特に被害が大きくて、今でも道が補修箇所だらけですもんね。