美浜在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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美浜在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000125
説明・要約
 ●地震発生!すぐに作業台の下に避難した 震災の当時は中央図書館で働いていました。あの年の 3 月いっぱいで退職する予定だった んですよ。1 階の中央カウンター裏の部屋で仕事をしている時に揺れだして、すぐに大きな 作業台の下にもぐりました。若い女の子たちに「頭を下に突っ込んで!」って声をかけた のを覚えています。泣いている子もいましたよ。そのうち、天井まである高い棚からいろ んな物がバサバサ落ちてきてね。これは怖かったですよ。あの場にいたみんなテーブルの 下にじっとして、揺れが収まるのを祈っていました。
地震が収まってから家族に連絡しようにも携帯電話が使えない。館内の公衆電話がつながるから、小さいお子さんのいる職員は電話をしていました。うちの子どもはもう社会人だったので、「ああ、今日は帰れないかもね」って思っていました。
●帰り道、液状化した街を見ていた 夕方の 5 時には図書館を閉館することになり、同じ美浜の方たちと自転車で帰りました。3 月ですから 5 時過ぎはもううっすら暗くなっています。そうしたら道の真ん中が盛り上が っているように見えて、あんまり怖いから自転車を降りて歩きました。美浜南小の角を曲 がったあたりですかね。点字ブロックがはまっている部分から 30cm くらいは段差があって、 「これは相当な地震だったんだな」と思いました。あと地面が濡れている感じがしていま したね。暗いからよく見えないけど、雨が降ったあとみたいにアスファルトが黒っぽく見えて。
●余震におびえながら過ごした夜 マンションに着くと、ご近所さんからエレベーターが止まっていると聞きました。階段で 5 階まであがって玄関を入ると、さほど被害はありませんでした。
それから家族に連絡をとりました。主人は名古屋に赴任中でしたので、とりあえず無事を 伝えました。3 人の子どもにはメールを送りました。東陽町で働いていた長女は 9 時くらい に歩いて帰ってきました。浦安駅あたりは何でもなくて、クローバーのところを越えたら 被災地になっていたと言ってました。神田の三女には「会社に泊まりなさい」って言いました。本人もそうしたかったようで、すぐにコンビニで食べる物を買ったとか。南行徳に 住んでいた次女はたまたま浦安にいて、6時か7時くらいにうちに来ました。
水道は止まっていました。飲料水は 2L のペットボトルが 6 本ありましたし、電気も大丈夫 だったからポットでお湯を沸かすくらいはできます。しょっちゅう余震があったから、その日は一歩も外に出ませんでした。その晩はあまり寝付けなかったですよね。