富岡在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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富岡在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000127
説明・要約
 ●家の2階に一人でいるときに地震発生 午前中はボランティアで出かけており、正午過ぎに家に戻って昼食を食べ、2 階の部屋で寝 転がってひと休みしているときに揺れがきました。最初は様子を見ていたのですが、あま りにも揺れが大きいので、急いで窓とドアを開け、ドアに捕まって揺れが収まるのを待っ ていました。
日頃から家具などは低いものを買うようにして、高い場所に物を置いたりすることはありませんでした。そのため玄関に置いてあった自転車の空気入れがひっくり返っていただけで、ほかは何も落ちてきませんでした。
●外へ出て、近所の人たちと様子を見守る 揺れが収まって少しするとご近所の方たちの声が聞こえてきたので、外に出て、一緒に様 子をうかがっていました。道路の向こう側を見たら水がザーザーと流れ出していて、最初 は水道管が破裂したのかと思いました。皆で「すごいことになったわね」などと言いなが ら、ただ茫然として見ていました。液状化を知ったのは、2、3 日後のことです。溢れ出し た水が引いて、まるで砂浜のようになっていました。
広報のアナウンスもなく、状況もよくわからないままでしたが、そのまま家の中に入りました。しばらくして、近所で仕事をしていた夫が家の様子を見に戻ってきました。そして 何事もなかったのを知ると、また仕事へと戻って行きました。
●余震が続くなか、なり続ける警報サイレンに不安 私には視覚障害があるのですが、浦安市ではちょうど 1 年ほど前から障害者に対して地震 のお知らせをする警報器を提供していました。ところが、これがまったく作動しませんで した。地震発生時にはまったく反応しなかったのに、なぜか余震が続いている最中に小さ な揺れであっても大きな音が鳴り響いたりして、とても不安になりました。
おそらく浦安市内だけでなく、全国的な警報だったのですね。福島のほうで余震がくるた びに大きなサイレンがなり、その音がすごく恐ろしかったですね。そのたびに心臓をドキ ドキさせながらトイレの中へ駆け込んだりしていました。
●固定電話はいつまでも通じず 夕方、市内に住む娘に連絡したのですが、案の定電話はつながりませんでした。固定電話 が通じるまで 3、4 日かかったと思います。私も夫も携帯電話を持っていなかったため、当 日は連絡をとることもできませんでした。