富岡在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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富岡在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000128
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●断水が 1 週間ほど続く 子供の頃から浦安に住んでいるので、このあたりはゼロメートル地帯だということを小さ い頃からずっと言い聞かされていました。それで家を建てるときにも土台を 1m ぐらいかさ 上げしてもらっていたのですね。その結果、周囲の家は翌日には駐車場や庭の水が出るよ うになったのですが、我が家は1m 高い位置にあるため水圧が弱く、ずっと断水状態でし た。それで、しばらくの間は堀江にある実家へ飲み水をもらいに行っていました。3 日目ぐ らいからは、近所の方に分けていただくようになりました。
たまたま 9 月の防災の日に水を用意するようにアドバイスを受け、それで 4 リットルのペ ットボトルを 10 本ほど用意して水を入れ、階段の下に並べてあったのですね。お風呂の水 も使った後すぐに抜かないようにしていたのですが、これがトイレを流すのにとても役に 立ちました。ちなみに娘は市内にあるマンションの 11 階に住んでいたのですが、私と同じ ようにお風呂に水を溜めていたのだそうですが、大きな揺れだったためにすべて流れ出し てしまっていたと言っていました。
断水が続いたのは 1 週間ぐらいだったと思います。掃除機をかけていたら、突然トイレの 水が流れる音がしました。栓を開けっ放しにしてあったようで、1 階の蛇口からも一気に水 が流れ出しました。まず頭をよぎったのが、「やっとお風呂に入れる」ということです。あ のときは本当にうれしかったですね。
●日頃から食料品を買い置きしていたため、食事には問題なし 視覚障害があるため、日頃から1週間分ほど食べ物を買い置きしているのですね。断水と はいっても近所から水を分けてもらっていましたし、電気、ガスも通じましたから、食事については特に不自由はしませんでした。娘のマンションは復旧までに 1 カ月もかかった ため、夫妻そろってよく我が家に夕飯を食べに来ていました。
ただ、計画停電がとても悲しかったのを覚えています。日中は問題なかったのですが、夜 になると本当にせつなかった。ランタンやロウソクを用意はしていましたが、家の中にひとりでいるとなんだか心細く、いつも早めに寝るようにしていました。
●さまざまな人の援助や心遣いに感謝 震災後、さまざまな人に助けられました。浦安以外の人たちからお菓子やタオルなどを宅 急便で送っていただき、本当にうれしかったです。遠くにいる息子の友達がこちらへ来る ということで、ついでに何か必要なものがあれば持って行きますとも言われ、食パンを持 ってきてもらいました。特に食事には困っていなかったのですが、ちょうどそのとき店に はほとんど食パンがなくなっている状況で、もしいただけるなら……と甘えてみました。
危ないから外へ出るなと家族にずっと言われていて、1カ月間、ジャージを着た切りでずっと家の中にいました。そんな心細いなか、市の福祉課から「大丈夫ですか」という電話 があり、それもうれしかったですね。
●貴重品を詰めたリュックサックを鍵が開いたままの玄関先に放置 いつでも避難できるようにと、トイレットペーパーやビニール袋、カイロなどを入れたリ ュックサックをひとつ、アクセサリーなどの貴金属類や貯金通帳、印鑑などを詰めたリュ ックサックをひとつ、計ふたつのリュックサックを玄関先に1カ月ほど置いておきました。 いざというときには前と後ろに背負って逃げればよいと思っていたのです。
今考えると、あのときは何だか頭が正常に働いていなかったように思います。何かあった ときにすぐに助け出してもらえるようにと日中は鍵をかけず、寝るときだけ鍵をかけてい たのですが、貴重品が入ったリュックサックは玄関先にそのまま置いてあったわけですか ら。たまたま何も盗まれなかったからよいものの、今考えるとあのとき何を考えていたの だろう……と不思議に思います。