舞浜在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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舞浜在住 60代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000131
説明・要約
 ●市内のホテルにいるときに地震発生 ボランティアグループの会食が市内のホテルであり、その後いつも通っているホテル内の スポーツジムで一汗流した後お風呂に入り、ロッカー室で着替えをしているときでした。 強い揺れが発生し、かろうじて立っているといった状況でした。かなり激しい揺れでした が、それでも建物が崩れるといった不安はなかったように思います。
揺れが収まると係員が来て、その方の案内でホテルの駐車場へと避難しました。ほかにも 多くの方が誘導されて集まっていました。1 時間ぐらいでしょうか、しばらくそこに留まっ ていましたが、もう大丈夫ということでしたので、車で家に戻りました。
●家に戻ると液状化の影響でひどいことに どうやって帰ったかは覚えていないのですが、道路は通常で特に問題はなかったのだった と思います。ところが、自宅に戻ってからが大変でした。家に着くと、液状化の影響で隣 の家から大量の泥水が家のほうに流れこみ、駐車場に入ることもできません。車を入れる こともできず、泥を取り除くまでとりあえずは家の前に駐車しておいたように思います。 隣の家ほどはひどくありませんでしたが、家の庭も多少液状化の影響を受けていました。
とりあえず車を止め、家の中に入ってみました。物が倒れ落ちたりしているのでは……と 心配でしたが、ほとんど被害はありませんでした。私が趣味でやっている陶芸の作品が、 いくつか壊れてしまった程度で済みました。大きな揺れではあったのですが、“倒れない揺 れ”だったのでしょうね。
●●母親が帰宅できないため、児童を一晩預かることに 当時、ファミリーサポートという活動をしていたのですが、その日はたまたま一人の児童 を預かる予定になっていました。ファミリーサポートというのは、働いている親の子供を 学童保育のあと親が帰ってくるまで面倒を見るという事業です。その日は、当時 3 年生の 男の子を預かる予定になっていました。
母親と連絡が取れなかったので、小学校までその子を引き取りに行ったのですが、学校の ほうも子供たちを非難させるのに精一杯だったのでしょう。子供たちを帰宅させるべきか 校内に留まらせるかの判断が難しかったようです。特に実の親でない私に対してはなかな か判断ができなかったようで、引き取りまでにかなりの時間を要しました。
夕方、母親とも連絡がとれ、息子が無事だと知るととても安心していました。通常は仕事帰りに引き取りに来るのですが、その日は交通機関が麻痺してしまい、都内の仕事場から 帰ってこられないということでしたので、我が家で一晩預かることにしました。