今川在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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今川在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000178
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
 翌日から泥かき。3 日後には給水車が来た 次の日は、ご近所の方たちと液状化で出た泥をどけました。道に泥がたまってしまい車も 出せない状態でしたからね。でもあの日が一番放射能がこのへんに来ていた時期でしたか らね……もちろん、そういった情報も当時はありませんでしたけど、もし分かっていたら 家の外にいませんでしたよね
震災からしばらくは家にある水でなんとか過ごしていました。近所の方もそうです。「たぶ ん給水車が来るよね」なんて話をしていたくらいです。3 日目くらいですかね、富岡小学校 と入船小学校に給水車が来るっていう噂が流れて。それで入れ物を持って給水所に行った ものの給水車の水がなくなってしまい、次の車が来るのにうんと待たされて。
●親戚や息子からの物資援助 スーパーやコンビニにも物がなかったですよね。とりあえず冷蔵庫にあるものでいけまし た。鹿児島の親戚から水だとか缶詰などを送ってもらったりしました。でも 2 回ほど送っ てもらった時点で、物流に支障が出たとかで宅配便がストップしてしまいました。息子のいる世田谷には何でも売っているというので、そちらで水などを買い置きしておいてもら い、お風呂や洗濯機を借りに行ったついでに引き取ってきて。お風呂といえば、両親をお 風呂へ入れるのに元町の銭湯を使ったり、立川のゴミ焼却場の温泉施設を使ったりもしましたよ。でもそんなことをやっていると車のガソリンがすぐなくなっちゃうから、両親を 連れて出歩く以外は極力自転車か徒歩でしたよね。ガソリンを入れるのも苦労しましたし ね、今ではいつでも満タンにしています。
●水道とガスが 1 カ月ダウンしたまま 結局、ガスと水道、下水が 1 カ月くらいだめでした。朝昼晩とパンを食べたりね、お皿に ラップしてなるべく食器を洗わないようにしたりね。両親もかかえていましたし、気分が だいぶ滅入っていました。電話が通じるようになって知り合いから「大丈夫?」って連絡 きても、「大丈夫じゃない!」って。孫たちから写真つきのメールが来て、それで気晴らし したり……あと、会社から帰ってくる主人を迎えにいって、スーパー銭湯でお風呂に入っ て、のんびりごはん食べてとか。息抜きって言ったらそれくらいでしたね。
●防災への意識が強まった あれ以来、災害に対する備えはしっかりやっていますよ。水は 3 日分と言われてるでしょ。 うちは 4 人いるから 2L のペットボトルを 3 ケース。それと缶詰やインスタント食品などを 玄関にラックを作って全部置いています。防災リュックも。仮に家が崩れても、後で戻って玄関からすぐ取り出せるように。