当代島在住 20代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
浦安市における東日本大震災の記録コンテンツのご利用について(利用規約)
当代島在住 20代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000173
説明・要約
【震災当日】
●工事用のショベルカーが倒れそう!:発生時、自宅でテレビを見てくつろいでいました。いつもと違う揺れ方をしていて、緊急地震速報がテレビに流れました。「これは危ないんだ!」と思い、とにかく外に出なきゃと玄関から外に出ました。当時、ちょうど家の目の前で工事をしていまして、ショベルカーが停まっていたんですね。それがすごく揺れていて、自分の家に倒れてくるんじゃないかというほどの揺れで、それが一番印象的でした。その後、揺れが収まったので、安否確認をするためにまずは隣の親戚の家へ行きました。「大丈夫だから、家にいなさい」と言われ、自宅に戻りました。当時、家には私一人だけだったんです。父親は仕事場に行っていたのですが、30分ほどでなんとか連絡が取れて、夕方5時ぐらいには戻るということを確認できました。ちょうど築地から浦安市内の職場に戻って作業をしていたので、無事に帰ってくることができました。もし築地で作業をしていたら、絶対に帰ってこられなかったと思います。
●3・11当日、母と妹は仙台に!:母と妹は一緒にいたのですが、ちょうどその日、仙台に行っていたんです。前日の10日に合格発表があり、妹が仙台の大学に受かったんですね。それで仙台で住む家を決めようということで1泊2日分の荷物を持って、新幹線に乗って仙台に向かった日がちょうどその日だったんです。お昼ぐらいに仙台駅に着いて、発生時は仙台駅の改札を出たところの歩道橋の上にいたということです。その時、母親は携帯電話を持っていなかったので、妹と連絡をとりました。比較的すぐに連絡はとれたんです。とりあえず宿泊先のホテルには泊まれるということで、そこに向かったということでした。駅の周りの高層ビルがすごい揺れ方をしていて、揺れているのがわかるほどだったそうです。スプリンクラーなんかも壊れたりするなど、とにかく大変な状況だったようです。その後、ホテルの部屋に無事に着いたという連絡がメールで入りました。ただ、仙台では情報をうまく入手できない状況でして、とにかく帰り方を探すということで、私がこちらでいろいろと調べました。結局、山形までバスが出ているというのを見つけて、いったん山形へ出て、そこから電車で帰ってきました。ただ、帰ってきたのは1週間後でした。幸いだったのは、その間もホテルに泊まらせてもらうことができまして、避難所には行かずに済んだことでしょうか。予約は1泊だけだったのですが、その後のお客様がいらっしゃることがなかったので、「部屋が空いている限りはお使いください」ということだったんですね。ただ、「海外からの救助関係の方などが泊まるために部屋が必要になった場合は、避難所へ移動してください」と言われたそうです。食事などはホテルで配給があり、なんとかしのいでいたとのことでした。移動手段に関しても部屋を決めるためにお世話になった不動産屋さんがいろいろと親切に調べてくれたとのことです。