君津市在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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君津市在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000042
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
 ●はじめて見た浦安の被害
娘の旦那は東京に勤めているんですけど、旦那はしばらく都内の実家に行ってました。学校も休校になっていましたから、娘と孫を君津に連れてきました。度々、車で娘の家に行って片付けなんかをしたり、孫の学校の様子を見に行ったりしてね。学校には仮設トイレが建っていまして、街中のあちこちで道路がひび割れていて「ああ、浦安はこんな状況だったのか」と初めて自分の目で見てそう思いましたし、つくづく地震の恐ろしさを感じました。
車で君津から向かうと、元町にまず入るんですよね。その辺りは何でもなくて、新浦安の方だけが被害が出ていて。浦安の 70%だか 80%ぐらいの土地で被害が出たと後で聞きましたが、そんなもんだったかなとは思いますね。
●乾電池やガソリン不足で不便を感じた
君津は水や食料が不足するということはありませんでしたが、計画停電が始まったときには乾電池がスーパーから無くなりましたよね。静岡の兄や板橋の次女に頼んで、乾電池をたくさん確保しました。あとガソリンですね。車移動が多かったものですから給油制限が あったりして不便でしたよ。
●その後、浦安に移住した
娘たちは結局ライフラインが直ってから自宅に戻りました。あの震災のあと、娘が浦安の 家を探してくれてね、2011 年の 10 月に浦安に移り住みました。何かあったときに孫をこ ちらで面倒見られるのは娘にとっても助かるわけだし、我々も孫の顔をすぐに見られるの は嬉しいですし。
あれ以来、防災リュックを備えています。女房と私の分をふたつね。懐中電灯、携帯ラジオ、水やカンパンとか、重要な書類とかを入れて。もしまた何か起きたときに、年寄りだからと周りに迷惑をかけたくないですしね。