弁天在住 70代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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弁天在住 70代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000087
説明・要約
 ●会議の直前に地震発生
震災が発生したときは、国際交流協会の 2 階の事務所で 3 時からの会議を待っているとき でした。事務所内のロッカーが倒れてはいけないと支えていました。そのうち協会の副会長がやって来て、「この辺りは無事だけど、新町の方が大変なことになっている。地割れが起きて水が噴き出している」と言うんです。
会議は中止となり、帰宅することにしました。私の自宅は弁天ですが、明海大の近くに住 んでいる息子夫婦と保育園にいる孫が心配でした。息子もその嫁も都内に勤めていて、し かも嫁はお腹が大きかったんです携帯は音声やメールもつながりませんが、都内なら液状 化や断水の心配もないだろうと安心することにました。家内は成田空港の近くに友人たち と行っていました。家内とも携帯は通じませんが、仲間がいるからとりあえずは何とかなるだろうと。でも保育園にいる孫を預かることが心配でしたね。
●帰宅中に見た光景。孫のいる保育園へ! いったん自宅に戻ってから保育園に行くことにしましたが、孫のために水や食料を買いに スーパーへ向かいました。ところが、市役所の近くのスーパーは従業員を帰して閉店して しまっている。自宅近くのスーパーも店を閉めてしまっている。しかし当時は今川に「木 田屋」さんという地元スーパーがありまして、そこのご主人は水やろうそく、インスタントラーメンを夜までずっと売っていてくれました。店のまわりは大変な状態なのに、近隣 住民のためにああやって店を開けていてくれたなんて……非常に感動しましたね。
震災発生が 3 時前でしたから、郵便局員や新聞配達員がバイクで動く時間帯です。液状化で泥が堆積してしまったあたりではバイクを路上に置いて、大量の郵便物や新聞を小脇にかかえて走りながら各戸に配達しているんです。その姿には感動を覚えました。
そんな光景を見ながら帰宅して、すぐに入船の保育園へ向かうと孫は風邪でお休みしてい るとのこと。それで息子の自宅に電話すると、嫁が出ました。その日は午前中に息子が半 休を取って孫娘を世話して、昼から嫁が帰宅して面倒を見ていたとのこと。結果的には妊 娠している嫁と孫娘は自宅にいて無事だったんです。ひと安心でしたよね。
息子は都心の職場に出勤してすぐに地震が起こり、夜 10 時くらいに動き出した有楽町線で 新木場まで戻って、そこから徒歩で帰宅したそうです。成田にいた家内たちはその晩、渋 滞の中やっと辿り着いた幕張メッセの満員のホテルに泊めてもらい翌朝帰ってきました。 マネージャーの計らいに感謝します。