日の出在住 70代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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日の出在住 70代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000092
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●高齢の母を世話するために毎日都内へ
私の母は当時 95 歳で、自宅から車で 25 分ぐらいの都内に一人暮らししていました。地震 の前も介護のため通っていたのですが、地震後は毎日通いました。地震後は道が悪くなっ ていたり、通行止のため遠回りしなければならなっかたので 1 時間ぐらいかかりました。
なぜ通ったかというと、母の家は地震の被害はまったくなくライフラインも生きていました。なので、洗濯したり風呂に入ったり、食事を作ったり、トイレを済ませたりなど自宅でできないことを母のところで全部世話になりました。母は介護に行くと「私の役に立ちたい」といつも言っていました。この時は、私も「役に立った、役に立った」と本当に喜んでいましたし、私の元気な顔を見て安心したと言ってくれました。それがとても嬉しか ったです。
●誰も助けてくれなかったので心細かった 誰も助けてくれなかったので心細かった 誰も助けてくれなかったので心細かった 誰も助けてくれなかったので心細かった
地震のあと不便なことはたくさんありました。でも誰も助けてくれませんでしたし、訪ね てきてくれませんでした。老人会にも入っているのにです。母のところに毎日通っていた のですれ違っていた可能性はありますが……。一応 2L のペットボトル 2 本とトイレの凝 固剤は配られましたが、それだけです。とても心細かったです。
トイレは新聞紙の上に用を足して凝固剤で固めるのですが、私は新聞をとっていなかった ので手元になく困りました。そこで電話帳を破って使いました。
水は母のところで汲んでいたので、そこまで困りませんでした。ビニール袋を二重にした ものに入れ運んでしました。ただ運ぶのが結構大変で、母の家から車までは母の車椅子を 使って運びました。自宅はエレベーターが止まっていたのでとても大変で、階段で4階ま で運びました。
一番困ったのは電話でした。家の電話は 3 カ月ほど不通だったので連絡を取ろうにもどこにも取れませんでした。心配した息子が訪ねてきて、今まで持っていなかった携帯電話を プレゼントしてくれました。ただ使い方がいまいちわからなくて今もあまり使ってはいません。
●地震の時にあるとにあると便利なロウソク
役立つのはロウソクです。ただし、なんでもいいわけではありません。なるべく太く、短 いものがいいです。細長いものは、余震などがあれば倒れて、大変なことになる可能性があるので。太くて短ければ倒れる心配はないし、長く燃えるのでオススメです。