日の出在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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日の出在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000096
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●街が土埃で覆われ、マスクは不可欠
電気・ガスは大丈夫だったのですが、水道が 2 週間ほど止まりました。なので、給水車が 来ていた近くの小学校に水をもらいに行きました。30 分から 1 時間ほど並ぶのですが、待 っている間に液状化で出た泥を運ぶトラックが何台も通るんです。横を通るたび土埃がひどく、マスクなしではとても並べるような状況ではなかったです。また、しばらくは街を 自転車で移動する時も、液状化で出た泥が乾いて舞い上がるためマスクが必要でした。
震災後、近所のイトーヨーカドーに行ったんですが、食べ物がいつもより少なめな感じで した。カップラーメンは1人3個までと制限がかかっていたのも印象的でした。
●震災がマンションへ与えた影響
水道と同じく、下水もダメになっていたので、トイレと風呂が使えなくて困りました。トイレの水は目の前の中学校のプールから水をもらってきて、それを使い流していました。 しかし、うちの周りは集合住宅が多く人も多いので、プールの水は 2、3 日にでなくなっ てしまいました。風呂は 1 週間ほどホテルの風呂や銭湯に通いました。1 週間ほど経つと マンションについている大浴場が再開し、そこに入れたので助かりました。
あと台所に生ごみ処理のディスポーザーがついているのですが、やはり下水とのつなぎ目 がダメになってしまっていたため、しばらく使えず妻が不便だと漏らしていました。
マンション自体は大きな被害はなかったのですが、渡り廊下と建物の継ぎ目など、弱い部 分に亀裂が入っていました。細かい部分をすべて直すのに 2 年ほどかかりました。
●浦安の被害を目の当たりにした 浦安の被害を目の当たりにした 浦安の被害を目の当たりにした 浦安の被害を目の当たりにした
所属してる NPO の関係もあり、浦安の被害の全容が気になりました。そこで地震から 2、3 日後してから浦安市内を自転車で回りました。道も悪く、土埃もひどかったですが、いろ んなところを見て回りました。
最初にマンション近くの海際の護岸を見に行きました。すると下段の方が壊れていました。 ここはしばらく補修されることなく放置されていました。そのせいで最初は下段だけだっ たのが、しばらくすると上の方まで崩落してしまいました。
あと被害で有名なのは、モニュメントとなった高洲のマンホールです。しかしあれだけで はなく、浦安市内でも新しい埋立地の方では 30〜50cm ほど飛び出たマンホールがゴマンとありました。しかも大体が歩道にあったため、歩くのも、自転車で行くのも大変です。 本当に道が悪くて、震災後 2 年の間に自転車を2台買い換えなければなりませんでした。