東野在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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東野在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000116
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●茨城の職場と連絡がつかない。仕事の予定はどうなる?
あの震災が金曜日で、翌日も仕事の予定は入ってなかったんです。ところが茨城のK市に も仕事場があり、そっちと連絡がつかなくて苦労しました。誰も電話に出なくて。翌週以 降の仕事がどうなるかというのを確認しようにも連絡がつかなくて。千葉とか茨城は相当揺れたし被害も出ていましたから、私の感覚ではしばらく仕事はストップすると思いまし たが、東京の本部では通常業務を行うべきという話になってね。地域差というか被害の差 というのか、ちょっと揉めたこともありましたね。
茨城に住んでいる高齢の支部長とも2日間は連絡が取れなくて気をもみました。その後、他のスタッフから無事だと連絡があり、それ以降の業務予定をすり合わせました
●液状化した街を目撃
知人から大量の水が届いた日曜日には浦安市内を自転車で見回ってみました。息子が言ってたように液状化が出てい るのかを確認しに。マンホールが道から盛り上がったと報道されていた辺りもね、あの辺はその昔住んでいましたから。
給水所には行きましたね。震災の翌日にダイエーに行くと、水はひとり 1 本しか売ってく れなかったと思うんですよ。でもね、名古屋の知人から大量の水が送られてきて助かりま した。自宅のすぐ前で物資を配っていたし、それほど不便を感じたってことは無いですよね。何度か浦安駅の近くの銭湯に行った記憶があります。
●震災後、意識が変わった
水がいつごろ復旧したかなど、あまり覚えてないですけど、娘の弁天の家はずっと水がダ メで、うちに風呂を借りに来ていましたね。
あの震災を経て、やはり意識は変わりますよね。人生観も変わったし、エネルギーに対す る意識もそうだし、身近な事では水の確保。風呂の水は抜かずにとっておくし、水は常時 10 本くらい備蓄しています。
若い頃は救命救急などもやっていたし、山が趣味だったしで、私は取り乱したりもせず、 むしろあの当時はちょっと興奮状態というかハイになっていたかも知れません。誰かが亡 くなったというわけでもないし、非常食にも慣れているのでね。家族は余震にびくびくしていましたが、私はずっと「そんなに心配するな。落ち着けよ」っていう感じでした。そ のことを今でも女房は「あなたは呑気ね」なんて言いますけどね。