舞浜在住 30代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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舞浜在住 30代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000165
説明・要約
【震災当日】
●昼寝をしていた時に発生:ちょうど入庁前の時期で、この日は何をするわけでもなく家にいました。のんびりとお昼寝をしていたのですが、とにかく揺れました。ただ、揺れたことよりも、揺れている時間がとても長かったという記憶があります。それから、花瓶が落ちて割れたことが一番印象に残っていますね。本棚の本も少しですが崩れ落ちてきたと思います。それで、とっさに机の下に逃げ込みました。しばらくして揺れが収まった後、ベランダから外を眺めました。近所の人たちが、続々と外に出てきたのを覚えています。
●あっという間にコンビニがクローズ!:お昼ご飯を食べていなかったので、揺れが収まった後、コンビニに買い物に行ったんですね。混んでいるだろうなと思っていたのですが、この時は直後だったせいか、私以外にお客さんは一人ぐらいしかいませんでした。ところが、夕方5時ぐらいでしょうか、夜ごはんを買いにまたコンビニに行ったんですよ。そうしたら、もう閉まっていたんです! ものがなくなっていたんですね。
●液状化は一気に起こるのではなく、じわじわと:地震発生直後、電気はついていましたが、水は止まりました。ガスは止まりましたが、これは探知機が感知したためだと思います。そんな状況のなか、液状化で水がじんわりじんわりと地面から染み出てきたんですね。最初にコンビニに行った時点で、すでに始まっていました。最初は水がちょっと逆流しているぐらいなのかなと思っていたのですが、それが止めどなく出続ける。当初はあそこまでひどくなるとは思わなかったのですが、翌日にはさらに悪化して、泥水というか、ひどいことになっていました。一気にああなるわけではないんですね。でも、ただただ見ているほかは、どうすることもできませんでした。
●家族全員と連絡がつき、全員の無事を確認:当時は、父と母、弟と4人で暮らしていたのですが、当日、家にいたのは私一人だけだったんです。父は職場のある銀座にいました。母は祖母の実家の国立市で、弟は勤め先にいたんです。全員に電話しました。もちろん何回かかけましたが、そんなに多くかけたわけではありません。何回かかけているうちに全員と連絡がとれました。幸い全員無事でしたが、誰も帰宅しませんでした。父は職場が自分の事務所なので、帰ることができなかったというよりも、事務所に泊まったというほうが正確でしょうか。弟も勤め先に泊まったようです。母は祖母の実家です。結局、当日は私一人で、夜遅くまでテレビを見ていました。やはり情報が気になりました。ただ、電気が通じていたこともあって、特に不安な要素はありませんでしたね。ひとつ気になったのは、「フンフン、フンフン……」と突然鳴り出す携帯電話の緊急通報音でした。夜中にこれが鳴ると、やはりビックリしましたね。