美浜在住 70代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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美浜在住 70代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000130
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●ライフラインへの影響
ガスが止まってしまいましたが、ガス会社がカセットコンロを貸してくれました。電気は 使えたのでレンジで調理したりしていました。新浦安の周囲は店に行ってもまったく品物 がなくなっている状況で、旧市街、いわゆる元町のほうへ買い出しに行きました。あちらは被害がほとんどなかったため、店も開いていましたし、品物もかなり揃っていました。
ただ、水が使えなかったのがとても大変でした。トイレの水が流せないので、近くの小学校やホテルへ行っていました。また、小学校のプールの水を分けてもらい、バケツに入れて台車で何度か運びました。こんなに水が重いなんて、それまで思ったこともありませんでした。
飲料水は自衛隊の給水車が早い時期にきてくれたので、それを利用していました。公園の水もチョロチョロではありますが使えました。お風呂は東京の銭湯へ何度か行きました。ただ当時はガソリンが手に入らなかったため、好きなだけ車で出かけられるという状況で はありませんでした。
●海岸沿いのひどい被害を目の当たりに
地震後、海のほうへは行かないように注意されていましたが、息子の墓がある墓地のことも気になり、海辺へと歩いていきました。海岸線沿いに土手があるのですが、そこは私の普段からのウォーキングコースにもなっている場所です。行ってはいけないとはわかっていましたが、気が気でなく、翌日、日の出とともに歩き出してしまいました。
案の定、墓地にはカギがかかっていて中には入れませんでしたが、特に変わった様子はあ りません。一番海に近い場所でありながら、倒れている墓石はひとつもありませんでした。ほっとしてさらに歩いていくと、近くのホテルと海岸の間の広い空地が液状化で湖のようになっていました。海辺の突端には亀裂が入り、まるで氷山が割れたようになっています。その先の林のほうは何ともなかったのですが、海岸沿いは本当に悲惨な状況でした。
●日頃からの近所の付き合いが大切
あまり近所の方たちとはお付き合いせず、ひとりで暮らしていた方はとても大変だったかと思います。台車やスコップなどを貸し合ったり、買い出しついでに必要なものを頼んだり頼まれたりと、こんなときこそ近所の人たちとの助け合いが本当に大切だと思いました。
些細なことかもしれませんが、どこのスーパーには何があるといった情報も、近所の付き合いがなければ伝わってこないことでした。震災以降は自治会の活動も随分と活発になり、近所の方たちとの連携も強くなりました。防犯意識も随分高まったと思います。