東野在住 70代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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東野在住 70代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000144
説明・要約
 ●電車内で発車を待っている際に大きな揺れ
その日は4時半開幕の歌舞伎を見ようと思い、妻と二人で東京へ向かっている最中でした。 地震が発生したのは、14 時 46 分だったかと思います。ちょうど新木場でJR から有楽町線に乗り換え、電車の中で発車を待っている最中でした。
グラグラっと大きな揺れがきたので、急いでホームへ出たのを覚えています。アナウンスもなく、ただホームに立ち尽くして様子を伺っていました。周囲の人たちは相当パニックに陥っていましたね。近くにいた見ず知らずの女性に抱き付かれたりもしました。
●周囲はパニック状態に
一回揺れが収まったときでした。「とりあえず、駅から出てください」と駅員に言われ、誘導に従って駅前広場まで出ました。これは後から思ったことですが、つまりは駅のなかから人を全員外に出してしまいたかったのでしょうね。何か事故があったりするとまずいですから。しばらく駅前広場にいました。周囲には同じように駅から追い出された人が多数いましたが、その場に座り込んで泣きそうになっている人もいましたし、若い女性たちはパニック状態に陥ってキャーキャー叫んで本当に大変でした。携帯電話でずっと記録を撮っていたので、あのときのことは今でも鮮明によく覚えています。
何か大変なことが起こったのは理解できるのですが、これが一体何なのかがわかりません。ずっと前から言われ続けていた関東大地震なのかもしれないし、どこで何が起こったのかがわからない。そのとき、近くのビルから黒煙が巻き上がりました。たまたま近くにテレビ局の人がいて、ビデオでその様子を実況しています。一体何が起こったのかを聞くと、東北で大地震があったということを教えてくれました。
●駅員の誘導で近くの公園へ避難
これは歌舞伎を見に行っている場合ではないと、状況を把握しました。しばらくすると駅員がやって来て、駅の向かいにある夢の島へ避難してくださいと言っています。広場には駅から追い出された人たち 5、60人がたたずんでいたのですが、タクシーは駅前に一台も見当たらないし、もちろんバスも止まっています。そこで、とりあえずはほかの人たちと 一緒に公園へ向かいました。
そこにいたのは 30 分ほど、いや 1 時間ぐらいだったかもしれません。駅員は公園までは誘導してはくれたものの、そのあとは放置です。このまま暗くなってしまっては困るので、妻と相談して家に向かって歩き始めました。同様に、その場にいた人たちも皆ぱらぱらと動き始めていました。
駅からさほど遠くないところに大学の合宿所があるのですが、そこへ行ったら何か飲むも のでもあるだろうと思い、中へ入ってみました。地震の規模について知ったのは、そのときロビーにあったテレビを見たときです。大火災や津波の様子が画面に映し出されていて、やっと状況が呑み込めました。
●妻とふたり、徒歩で帰宅 また歩きはじめ、ちょうど荒川に架かる橋を渡っているときでした。江戸川区の緊急情報 が携帯メールに入ってきました。津波が来るかもしれないので、海や川の近くへは近寄ら ないでくださいとのことでした。まさにちょうど長い橋を渡っていた最中でしたから、か なり不安になりました。これは荒川を渡りながら撮った写真です。5 時 25 分ですね。さら にもう一本橋を渡り、家に着いたときはもう暗くなっていました。
橋を降りていくと、ディズニーランドの臨時駐車場があるのですが、そこが水浸しになっ ていました。これは水道管が破裂したどころの話ではないと思いました。さらに歩いていくと道路までが水浸しになっています。それで、これは液状化だなと思いました。357 号沿いを歩いて東野の住宅街に入ったのですが、道路はかなりひどい状況でした。傾いている家もありますし、電柱が倒れかけていたりもします。自宅もかなりひどいことになっているのではと心配だったのですが、側溝からかなり泥が流れ出し目の前の道路や駐車場を埋 め尽くしてはいましたが、家の中は何ともありませんでした。
家に戻ってからすぐに自治会の事務所に顔を出したのですが、皆対応に追われていたらし く、その場には誰もいませんでした。近所に一人で住んでいる年配の方が気になったので、様子を見にいきました。玄関先は液状化でかなり土台が崩れてしまっていましたが、そのほかは大丈夫ということでした。お孫さんもすぐに駆けつけてくれていたようで、とりあえずはひと安心といったところです。